神津 善之介 公式サイト

2012年10月


最近はどうもコラムの更新が隔月になってしまう。
筆無精というレベルを超えた自分の怠惰さが情けない。

さて、今月のコラムは少し暗い話になる。

 

6、7年に一度、私の目は私自身に試練を与える。

 

最初の症状は13年ほど前に遡る。

ある眼科で私の目の眼圧が非常に高いのは緑内障の可能性があるからだと脅され、眼圧を下げるため、排水口の穴を大きくするような手術を受けるようにと勧められた。だが、恐がりの私はその提案から逃げて何もしなかった。

 

その7年後、目の前に黒いゴミみたいなものが突然散らばり始めたので、不安に思い、前とは別の眼科に行くと目の中に腫瘍があると診断された。

築地にある国立がんセンターにも行ったが結局は腫瘍ではなく、腫瘍に見えた部分に網膜剥離があり、その剥離した網膜の隙間に水がたまっている事が分かった。

それが腫瘍のように膨らんで見えたという事らしい。

網膜剥離は古いもの(13歳の時に目にテニスボールが当たった時のもの)で、その時に気付かなかったため、剥 がれた膜に少しずつ硝子体の水分が入り込んで時間をかけて膨らみが出来ていたらしい。そして外傷を受けた目の老化でまた少し網膜が剥がれ、それが飛蚊症と して表れたのだそうだ。

多分7年前の眼圧が高いと言われた原因もこの網膜剥離だったのではないかと私は思っている。

ただこの時、左目の視野の3分の1ほどを失った。そのうえ飛蚊症も煩っているため、今でも左目はものすごく見にくい事になっている。

よって6年ほど前からは、ものを見るという行為の殆どを右目でおこなってきた。

 

私の描く絵に実在感や遠近感のような奥行きがないのは、片目で見ているという事が大きな理由だろうと私は勝手に考察している。

 

そして今年、とうとう唯一まともに見えていた利き目の右目が白内障になってしまった。そして老眼にも。

今の私の視界では世の中が白く眩しくなってしまい、日中はサングラスなしでは外の景色が見えない。

 

カメラマンやグラフィックをやる人でコンピューターを使っている人ならば、分かるかも知れないが、今の私の視界は、画像のコントラストを下げ、明るさをもの凄くあげたような感じで見えている。

白く薄いカーテン越しに真夏の午後の明るい風景を見ているような感じと言うほうが分かってもらえるだろうか?

 

どうして、こうも目が命である絵描きの私に、目の障害ばかりが起きるのだろう?

 

もしこの世に神というような存在があり、私たちの生き方に関わっているのであれば、彼は私に何を伝えようとしているのだろう?とつい考え込んでしまう。

 

今は一人でマドリードのアトリエに籠っているのだが、9月から10月の数週間は絵を描く力も出なかった。

今年のマドリードの10月は雨の日が多いので、その影響があるのかも知れないが、どうもネガティブな感情ばかりが湧きおこり、力もでなくてその感情を絵にするというところまでもたどり着けない状態だった。

 

目が悪くなり始める前の昨年末くらいから自分の絵に疑問を持ち始め、その悩みは克服できぬまま、今度は目の調 子まで悪くなり、今は家族とも離ればなれ(息子のビザのため)なので息子と会えない寂しさも加わり、アトリエにこもり、一人考え込んでいると、どうも気分 が暗くなってしまう。

 

日中は日差しが強く、眩しすぎて散歩が出来ないのだが、夕方になってから街を歩くと、目に映る全ての景色が美しすぎて涙が出そうになる。

ついこの間まで普通に見えていると思っていたこの街の景色が白く濁って見える。それでも秋の美しい夕日を浴びた街並は自分の記憶と合わさり、黄金色に輝く。

もし、この目がクリアーに見えていたら、この世の中はもっと美しいのだろうか。もしくは記憶はものを美化させるのだろうか。

 

これ以上、白内障が進んだら真剣に手術も考えなければいけない。

画家の中で一番最初に白内障の手術を受けたのはモネだったらしい。

手術後彼の絵は突然青くなる。

という事は、今の私には白く見えているこの景色も、他の人と比べると実際よりも茶色いのだろうか?

 

自分の思考が暗いところでぐるぐる回っているようで嫌になる。

 

今だって全く見えない訳ではないし、部屋を少し暗くして、距離を持って絵を見れば、前の状態に近い感じで絵は描ける。

それに、もしこれ以上症状が進んだとしても、今の医療技術では目の水晶体を削ってプラスティックのレンズをはめて白内障を治す事が出来るらしい、だからどうってことはないのだ!となるだけ明るく自分自身を励ましている。

 

現在、確かに見る事に不自由があり、描くという作業でもやり辛い部分はある。

ただし、これは今まで描いていた絵と同じように描こうとすればの話だ。

きっと先ほどの話に出てきた神という存在がいて、私に何かを伝えようとした手段がこの目の症状であったのだとすれば、これは私に今とは違う絵を描けと言うメッセージなのかも知れない。

じゃあ、どんな絵だろう?

それが分かれば、昨年からの悩みも解消するだろうが、全く見当がつかない。

神もそこまで親切ではないらしく、自分で考えろということだろう。

 

目の制限によって描ける絵は確実に狭まれてくる。

ただし、それを不利ととるか、新しい絵を見つけるためのヒントととるかは私の心持ち次第でもある。

 

99年から2004年くらいまで、私は画面構成にはこだわったつもりだが、割とオーソドックスな写実的なスタ イルで絵を描いていた。2005、6年頃から同じ写実的な絵を描くにしても使う筆を太くしたり、画面に加える筆数を減らしたりしながら、同じ質量の画面を 少ない筆数で表現しようと試みてきた。

 

これはまだ私の経験が浅いからなのかもしれないが、絵描きとして言わしてもらうと、絵を追求するあまり、画面に入れる筆が細かくなれば細かくなるほど、絵のスケールも小さくなってしまう。

細かく、実物どおりの形、色を写し取ろうとすればするほど、絵の中の嘘や間違いが目立ってくる。

それに気付いた私は絵が持つスケールを重視したいがため、大きな筆で大きく描くように努めた。そしてその分、絵の中にその時に私が感じた空気感を封じ込めようと試みてきた。

どちらかと言えば、明らかな嘘にリアリティーを持たせることの方が絵の本質なのかも知れないとさえ私は思う。

 

実際にこれから先、私は細かい描写が描き辛くなるのであれば、いっそこの考えを極端にしたものが、新しく描くべき絵なのかも知れない。

今までは静かで穏やかな絵を描いてきたが、逆に私には大きくダイナミックな絵は描けなかった。これからはそんな絵を描けるようになれるだろうか?

 

なんて、言葉にはしてみたが、それを絵にするにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

また、私の考えとは逆に、今の日本では髪の毛一本、葉っぱ一枚ずつを描くような細密描写の写実が流行っているらしい。

この流行は日本独自のもので、ヨーロッパでは全くそんなものは流行っていない。

勿論どこの国にも、写真のような細密な写実を愛する画家もコレクターもいるから、ここスペインでもそのような絵を描いている画家は、私の友達でも後輩でも何人かはいる。

けれど、ヨーロッパの今現在の絵画の流れとして、写真と見間違ってしまうような写実画はアートの本流にはいない。

実際に主なアートフェアに行けば、写真のような絵画は殆ど見つからず、絵画のような写真ばかりが目に留まる。

 

不思議な物だ。近代以降、絵描きたちが写真では表せない実在感を求め、現代リアリズムに没頭している間に、映像技術も進み、写真家達はカメラを使って絵のような世界観を持つ写真を作り出している。

なんだか、それぞれの役割が交差してしまっているようだ。

それは日本画が油絵のような感じの画面になり、洋画の方が日本画のような画面になった現代の日本の絵画シーンとも似ている。

 

これは絵画において、技術を重んじる日本と、精神や主張を重んじるヨーロッパとの違いであると私は思う。

技術に心がこもるという考えと、技術はあくまで表現を伝える手段に過ぎないという考えの違いとも言える。

 

もともと日本人に芸術家なんて言葉は似合わない。日本人の素晴しさは職人技だ。職人の技術力が芸術なのであって、芸術家が職人技を持つのではない。

飛び抜けた職人技を持つ人が芸術家なのだ。

 

ヨーロッパの我がままな絵描きが主張と言う名の勝手な思いを天才的なひらめきと感覚で作り出すものを芸術と呼ぶのならば、日本人の気質では芸術はなかなか作れないだろうと思う。

だからその違いが絵に出ていて、ヨーロッパの人々は「どれだけ高い質の物を描けるか?」ということよりも、「何をどうして描きたいか?」と言う事の方に魅力を感じるようである。

 

日本には日本の流行があり、ヨーロッパにはヨーロッパの流行がある。

偉そうな事を書いたものの、私の場合、悲しいかなどちらにも属していないのだが、自分が描くものの意味を考え描いているという微かな自負だけは持っている。

 

どんな絵をこれから描いて行くのか、描いて行けるのかは分からない。

ただし、今の私が次のステップの前に立っている事だけは確かである。

 

けれどその前に、

新しい絵を見つけだす前に、どうしても絵として発表したい思いがある。

それは昨年の個展で発表できなかったもの。

自分の絵に悩みを持ち始めた昨年、その年の個展に私は今までの10年間描いてきた自分のスタイルのベスト盤になるような絵を飾ろうと思い制作した。

 

けれど、その時には間に合わず、ちゃんとアディアが煮詰まっていなかったために、形にできなかった、どうしてもやってみたい事があった。

そして今年に入り、それを実現するための実験を繰り返すように、暗い絵を描き殴っているうち、どうにか掴めた絵がある。

 

来年の1月に、青山の画廊でそれを発表しようと思っている。

それをどうしても皆に見てもらいたいのだ。

 

新しい視界が齎す新しい絵。その世界に踏み出す前に描ききりたい絵。

孤独なアトリエは冬を迎えた。

だが、もう少しで何か小さな花が咲くだろう。

今はただ、見えないものが見えると信じて描き続けている。

 

 

神津善之介

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