「息子が生まれてもうすぐ1年が経つ。
私は絵が何よりも大切と思って生きてきたので、自分が子供を持つなんて事は全く考えてこなかった。

だが、息子を持ってみてよくわかった。

息子というものは本当に愛おしい。

uno生後12日目

(生後12日目)

よく嫁に「こんなに宇之介のことを可愛がるんだから、もし女の子だったらこんな程度じゃ済まなくて大変だったね!」と言われたりするのだが、心の中では「バカを言え!男の子だからこいつの気持ちがわかって可愛いんだ!」と呟いている。

 

私は親ばかは嫌いだ。それを表に出して憚らない人間はもっと嫌いだ。

そんな親は大体、思春期で子供に裏切られるのがオチだ。

だから、これから先もコラムに息子が出てくる事はあるかも知れないが、このフレーズだけはもう二度と言わない。これが最後だ。

私は息子がもの凄く愛おしい。

 

今日は今月で1歳を迎える息子との1年を簡単に書いてみたい。

なんせ、今日もそうだが、息子との日々は毎日が新鮮で楽しくてハードで、

あっという間に時間が過ぎ、ちょっと前の事は全部忘れてしまうのだ。

 

だから、この場で簡単にでも書き留めておかないと、1,2年経ったら何にも思い出せなくなるだろう。だからどう思われようと自分のために書かせて頂く。

 

簡単と言っても結構長いので、3回分のコラムに分けて書くことにする。

えー3回分も続くのかよぉー。それこそ親ばかじゃねーか!とお思いの方々、

私のコラムはもともと大した内容がないものだし、3ヵ月に1回くらいしか更新しないので、3ヵ月後からまたお読み頂きたい。どうかお許し下さい。

 

さてと....では始めます。

 

結婚して6年。子供が要らないと強く思っていた訳ではなかったが、絵の事ばかりを考えていて、絵が子供だと思っていたらあっという間に時間が過ぎていて、周りからは子供を作らない夫婦と思われていた。

 

そんな結婚6年目、嫁のお腹に命が芽生えた。

まず、何より心底驚いた。勿論嬉しかったが、それより先に「こんな子供みたいなおっさんが父親になっちゃいますけど大丈夫でしょうか?」という感じだった。

 

初めて病院で嫁のお腹をエコーで見せてもらった時、クリオネ(北の海のプランクトンの一種)みたいなお腹の子が必死に心臓を動かしているのを見て、「うぉー生きてる!」という感動とともに、やっと少しだけ父親らしき実感が湧いたような気がした。

 

そこで、嫁とお腹の子供に名前を付けようと言う事となり、「むに」と名付けた。

むにの意味は嫁の腹が飛び出してきてムニムニしてたからと、オムツの「ムーニー」と、この子が「唯一無二」な子だというような事とが合わさった感じだと思う。

 

妊娠期間中、私が嫁を大事にしたかと言えば、正直胸を張って「YES」とは言えない。出産間近、私は妻を日本に送り、スペインで制作活動していた。

私はスペインで制作したい。嫁は日本で生みたい。ならば別居と言う事になったのだが、3月の大震災の時も自分だけスペインに居たので、この事は今も「申し訳ない」という気持ちがある。そのかわり毎日Skypで日本に居る嫁とムニに話しかけた。

 

絵の合間、ネットの姓名判断などを見ながら名前を考えたりもした。

嫁の家族も女ばかりで、うちも私以外は女兄弟だけなので、勝手に女の子が生まれてくると思っていて、女の子の名前ばかりを考えていた。

最後の方に病院で「男の子です」と言われ、私の頭の中に全く男の名のアイディアがなく、とりあえず思いついた「ベラスケス」「北斎」「栖鳳」などの名を嫁に提案するもことごとく却下され続けた。

そしてギリギリで帰国。

 

もともと4月17日が予定日だったのだが、陣痛が来なかったので予定日よりも延びた。

占い好きの下の姉が「生むならば21日だぜ!」と言っていて、実際に21日に生まれたので、姉は「さすがゆきちゃんだ。神津家で初めて金運を持った人間が出来たわ。」と言っていた。

今まで神津家には金運を持っている人間が一人も居なかったらしいのだが、それはとても頷ける話だ。

ついでの話をすると、神社にお参りに行くと言う私に、その姉が「もし、そこで蛇を見たらそれはますます金運 アップの証だから、名前と住所を蛇に告げるんだよ!」と言うので、神社でついつい蛇を探しながらぶらぶらしていたら、黒猫がかな蛇みたいなものをくわえ、 私の目の前を横切っていった。蛇は猫の口の中でぐったりしていて、その光景があんまりにもショッキングだったので自分の名前なんてとても言えなかった。そ の話を姉にすると「マジでぇ?ちょーヤバそぅ!」と苦笑していた。

だれかこのシチュエーションの意味を知っている方が居れば、是非教えて頂きたい。おっと、申し訳ない、また話が逸れた。

 

最初の予定では前の日(20日)に子供が出てくるはずだったのだが、結局出てこなくて、21日に持ち越された。二日続けて陣痛と闘う可哀想な嫁はすごく大変そうで、不動明王の様だなんて口が裂けても言えなかった。

その日の朝、また神社にお参りに行って、のどが乾き販売機でジュースを買おうとしたのだが、欲しいジュースの ボタンを押したつもりが、何故かコカコーラが出てきた。なんでだよ?と思いながら缶を見ると、缶にはその時のプロモーションだったのか「HAPPY」とい う文字が書かれてあった。

そのとき私は「あ!今日元気に生まれるな」と思った。で神様に333円をお供えして病院に向かった。

 

いざ出産! 出産は立ち会った。

嫁さんを励ましたり労ったりするためというよりは、人間が出てくる瞬間を生で見たかったのだ。

嫁さんは超辛そうだったが、セニョール役立たずの私は全然違うところをさする事ぐらいしか出来ず、嫁に「どうなの?」を無駄に100回くらい聞いて叱られる。

出産を男の痛みで例えるならば「鼻からスイカを取り出すようなものだ」と聞いたことがあるが、あれは本当だと思う。自分なら死ぬな!と思った。

 

そして、ついにスペインの市場の肉屋でぶら下がっているウサギのような赤ん坊が出てきた。生まれた瞬間から彼は大声で泣き叫んでいた。

その瞬間から私は彼に夢中になった。テンションが上がりすぎて「ちょー可愛いんですけどぉ!」となぜかオネェ口調になって叫んでいた。

uno生後2日目

(生後2日目)

胎盤も勿論見せてもらった。「おー。これが胎盤ですか?勉強になるわー」と、のんきに言っている私を嫁がキーっと睨む。

この瞬間からムニが宇之介に変わり、彼との日々が始まった。

ちなみにこの宇之介が出てきた時間が3時33分。お賽銭と同じ数字。

これも意味があるのだろうか?

 

産後、嫁と子供が病院に入院中、私の生活は朝から夕方までは二人に付きっきりで、夜は実家に帰る日々。

息子の顔を見ながら「どっち似だ?うん?どっちだ?」と何度も顔を覗き込んだり、カメラにおさめたり、鉛筆でメモ帳に描いてみたりするが、どう見ても石橋蓮司にしか見えない。眼鏡をかけさせたらもっと似ているだろう。

uno生後3日目

(生後3日目 石橋蓮司顔のウノ)

 

そんな事ばかりに気を取られ、嫁に「少しは何か手伝え」と怒られる。

嫁が軽い産後鬱になりかけるが、そこに私の無神経さが順調にストレスを与え続ける。

 

産後7日目。私の父が「命名 神津宇之介」と名前を書いて持ってくる。

父はもっと違う名前を付けたかったらしいが、ここは私が押し切った。

この「宇之介」の意味は卯年の卯月生まれの「う」(神津五月、十月、八月と言うような規則性)の意味合いもあ るが、「ウノ」がスペイン語の1と言う意味で、スペインでも呼びやすく、私の「之介」との相性も良い気がしたからで、何よりもこのuno「1」という意味 が2011年には大事なのではないか?と夫婦で思ったのだ。息子を呼ぶたびに「1つ1つ進んでいこう」「1つになって頑張ろう」という気持ちを自分らに思 い起こさせてくれるような気がしたのだ。

勿論1番目の子供だってこともある。

 

先の話に出てきた姉が「じゃぁ次の子はドスケかドスエだね」と言った。

これから宇之介はこの文章の中では「ウノ」と呼ばれる。

uno生後7日目

(生後7日目)

 

退院後は嫁の体調が優れなかったので、ウノは嫁の実家に居た。

嫁に石橋蓮司(ウノ)の扱いが雑だと怒られ、蓮司になかなか触らせてもらえないので、嫁の目を盗んでは抱いてみたり、色んな所を触ってみた。もの凄く柔らかい。そして本当に小さい。目はまだ大して見えていないらしく宙や光の方を見ている。

 

そのウノの目が一重まぶたな事に嫁がすこし落胆するが、私に似ていれば似ているほど私にとって可愛さは増す。

唯一、沐浴だけは私の仕事だったのだが、それすら危なっかしいという理由で、途中で嫁に仕事を奪われ、失業する。

uno生後3週間目

(生後3週間目)

結婚後、嫁がだんだん強くなってきているぞ!という危惧はあったものの、どうにか踏ん張って旦那の威厳を守って来た。しかし出産を機に完璧に嫁の方が強くなる。立場が完全に逆転されてしまった。そして叱られる日々が続く。

実際、初めての子育てをしている嫁は本当に大変そうで偉いなぁーと思う。しかしその労いの気持ちと政権交代への辛さは別なのだ。

悔しいので、誰もいない時にウノに嫁の愚痴を言ってみる。

ウノはニターっと笑ってくれる。お前だけは分かってくれるんだね。

 

ウノはまだ口は聞けない。泣くだけだ。それとたまにしゃっくりをする。

しゃっくりがかなり長く続くので心配になるが、お医者さん曰く心配はなく、大人ほど苦しくないらしい。このしゃっくりの声がもの凄く可愛い。

 

5月に入り、ウノとの日々が楽しくてしょうがない。ただ彼は昼間の私が起きている間はずっと寝ていて、私が寝ている夜間に1時間おきに泣いて起きるらしく、「ウノは寝てばっかだね?」という私の発言に、嫁は殴りかかろうと思ったらしい。

ウノを見てるとあっという間に時間が過ぎる。しかし、ウノとの楽しい日々から私は引き離されることになる。

 

夫婦二人で決め、しばらくはウノをスペインで育てることにしたのだが、そのためにはビザが要る。と言う事で私が準備をしに、先にスペインに戻ることになった。

 

また離ればなれの日々だ。嫁と離れることは大して寂しくもないが、ウノと離れるのはすんごく寂しい。

 

せめて、お宮参りだけは参加すると言い張り、日本でのビザの準備とともに、残り少ないウノとのラブラブ(一歩通行だが)な時間を過ごす。

 

初めての端午の節句、なんにも訳の分からないウノと兜の前で写真を撮る。

兜の光っている部分に少し目をやるが、それ以外にウノは全く興味なし。

 

ウノの世話の合間を縫って、南相馬と気仙沼に行く。

自分にも子供が出来たので、現地で子供の被災者にお会いすると胸が痛い。

被災地では微力ながら出来る事をして、東京に帰る。東京駅に着いて、被災地とは全く違う能天気な景色を見て悲しくなる。ウノには優しい人間になって欲しいものだ。

uno生後2週間

(生後2週間)

ウノは生後3週間でパスポートを作った。冗談みたいな、まだ人間にもなれていないようなへんてこな顔写真の付いたパスポートを「ご本人でお間違いないですか?」と言われながら差し出され、「はい」と受け取るも、これ半年後には全然違う顔してるだろうなぁーと思った。

 

お宮参りの日の朝は雨だったのに、昼前から晴天になり、「お!あたしに似て晴れ男だ」と私の母がポジティブな部分だけ自分に似ていると主張する。

お経を読んで頂いた時、その木魚の音と声が尋常じゃなく大きかったのだが、ウノは気持ち良さそうに寝ている。よく見ると私の母がウノの耳を塞いでいた。

いつも静かな空間だと、それこそ私の母譲りの大声で泣き叫ぶのだが、泣いても問題ないようなうるさい空間では何故かよく寝る。

 

そうこうしているうちに1ヵ月が過ぎ、私は一人スペインに発った。

今まで経験した事のないこの「後ろ髪の引かれ感」は何なのだろう?

こんなに引っ張られたら少ない髪が全部抜けてしまう。

飛行機の中はセンチメンタルジャーニーを熱唱。

「ウノーはまだー、1ヵ月だーからー!」

uno生後2週間

(生後2週間)

6月はスペインでビザの準備とともに絵の制作。

 

勿論1日2,3回はskypで電話。ただでさえウノの世話に忙しい嫁にうっとうしがられる。

遠い微かな記憶に、私からの電話で喜んでいた若い嫁がいたような気がするが、あれから6年、用件のない電話は喜ばれない。

しかし考えてみて欲しい。これからの1、2年はウノの成長の中で劇的に変化が起きる年なのに、1,2ヵ月とは言え、自分はそれを目撃できないのだ。この寂しさが読者に分かってもらえるだろうか?

嫁がウノの成長を知らせてくるたびに、生で見られない悔しさに袖を噛む。

uno生後2ヶ月

(生後2ヵ月)

ビザの準備に思いのほか手間どう。

スペインに住んで20年なので、もうビザの大変さなど、とっくに忘れかけていたのだが、やはり海外に住むと言う事はとても大変だと言う事を今一度知らされる。

そして準備のためのスペイン滞在日数が増えれば増えるほど、ウノに会えないイライラも増える。どうでも良いがイライラが増えると髪は減る。

きっと遠洋漁業のマグロ船の親父は、私と同じように息子に会えない寂しい気持ちでいるのだろうと、会った事もない屈強なおっさんに勝手な親近感を持ちつつ、skypやメールの写真で日々のウノの成長を確認する。

ウノ、髪増えたなぁー。いいなぁー。お、少し太った?・・・でも、やはり生で見ないと全然だめだ。

そんなこんなで一日千秋の思いで6月を過ごす。

 

7月も後半に入り、ビザの申請書類を提出し、やっと日本に帰る。

 

会ぁえなーい時間がぁ、愛そーだーてるのさぁー。目ぇーをー瞑ればぁ、きぃみーがいーるぅー。(よろしく哀愁)飛行機の中で300回ほど歌いながら帰国。

ウノに会ったら、どんな声をかけよう?

「息子よ。お父さんだよ」(落ち着いた声で)「おぉ!ウーノ。パパだぁーよぉ!」(ラテン風に)どっちだって良い。さぁ!もうすぐだ。ウノ待っていてくれ!!!

 

そして待ちに待った再会。

が..ウノ、熟睡。しかも益々おっさんぽくなっている。太ったのか?

「ぁぁあの、お父さんですぅ」反応なし。嫁に「おい、起こすな!」と叱られる。待ちに待った再会の瞬間なのに...。

 

1時間後、目を覚ましたウノは、私の事を「誰?」と言った感じで、全く覚えていないらしく、私によそよそしい。

どちらかと言えば、義理の父を本当の父くらいの感じで思っているようだ。

 

いーや、いやいや。そんな訳ない。実の父の臭いというものはきっと脳裏に染み付いているはずだ。

生まれたての時にあれほどウノを抱いたんだから、ぎゅっとひと抱きしてやれば「あ!お父さんだ」と思い出すに違いない。

そして、ぎゅーーーーっ・・・と抱く。

ぎゃーーーー!。ウノ号泣。ショーーーック!キューバ危機以来のショックだ。

 

uno生後3ヶ月

(生後3ヵ月)

嫁が「子供は正直で、一緒にいる時間の分だけ親に懐くものなのです。」と瀬戸内寂聴ばりの達観した顔で私を窘める。

くそぉー。よろしく哀愁じゃないのかい?ヒロミゴウよ!

どうにかウノに愛されなければ!

以降、全力でウノに媚を売る日々を過ごす。

uno生後3ヶ月半

(生後3ヵ月半)

この時期、私の父が体を壊し入院したので、ウノ、父、ウノ、父、絵、ウノウノ、父みたいなローテーションの忙しい日々を過ごす。

 

無事に父の手術も成功し、元気に家に戻って来てくれ、じいさんと孫は再会を果たした。

気がついたら日本は夏真っ盛り。そんな中、タイミング悪くエアコンが壊れる。

ウノにとって初めての夏だ。

 

uno生後4ヶ月

(生後4ヵ月)

uno生後4ヶ月

(生後4ヵ月)

8月のウノは嫁と超ラブラブなのだが、私とは未だ広い隔たりがあるので、アクロバティックな抱っこなどをして、必死に好かれようとしてみるが、それを嫁に見つかると「まだ小さいんだから!」と叱られる。

あぁ、また叱られる日々が戻った。ウノに会える日々にはもれなく叱られる日々が付いている。

とは言え、徐々にウノ・ランキングの私の順位は上がっているような気がする。

頑張れ俺!

uno生後4ヶ月

(生後4ヵ月)

生まれて100日が経ち、お食い初めという儀式をする。

私は基本的にお祝い行事にあまり知識も関心もないのだが、嫁がそう言う事をこと細かく調べ、きちんとやりたい人間なので、私は怒られないように言われるがままに行動する。

私は育メンにはなれない。なりたくもないし、そんな軟弱な男になってたまるか!と思っている。

強いて言うならば、私は育メンではなく、オドメン(嫁にオドオドする男)なのだ。

 

クーラの効かない茹だった部屋で寝ているウノを眺めていると、ウノの頭から甘いミルクのような匂いが立ちこめてくる。その匂いに包まれているとついつい私も眠くなってしまう。最終的には3人で一緒に寝てしまうのだが、その瞬間がなんとも気持ちがよい。

心の底から幸せを感じる午後のミルクなのだ。

uno生後20日目

(生後20日目)

そして8月も終わりに近づき、とうとうウノがスペイン初上陸する日が来る。

しかし今月はここまで。

 

こーーーーーんなに長いコラムをかいても、まだ4ヵ月分なのだ。

読者は知りたくもないだろうが、まだ8ヵ月分も残っているのだ。

と言う事で、次回は「ウノはスペイン女がお好き」の巻

また次回のコラムで!   To Be Continued……

 

 

神津善之介