神津 善之介 公式サイト

2010年7月


先日、仕事で訪れている父を手伝いに僕はトルコに行ってきた。
手伝いと言っても簡単な英語の通訳とカバン持ち兼小間使いみたいなものだ。

父のお供で母も来ていた。そして僕のお供で嫁もついてきた。
夏の両親との旅行というと、遠い昔の家族旅行を思い出すが、今回は仕事である。
だいたい、もう長いこと家族旅行なんてものをしていないから、それがどんなものだったのかも忘れてしまった。
ただ、息子にとって父親と言うものはたいてい気難しく短気な生き物なので、家族旅行に行くとほとんどの場合は旅の中程で仲違いをしてたように思う。

父はトルコを何度も訪れていてよく知っていた。
だから今回が二度目となる僕は、父の案内でアンカラ、カマン、カッパドキア、イスタンブールと回った。

この旅の父のメインの仕事は、カマンという村にできたアナトリア考古学研究所及び博物館の落成式典で、父が作った曲をトルコ大統領交響楽団が演奏し、それを父が指揮をするというものだ。

幼い頃はよくコンサートなど、父の仕事を見に行ったものだが、スペインに暮らしてからは、なかなか自分の帰国日程と父の公演日程が重なる機会がなく、僕は久しく父が棒を振る姿を見ていなかった。

カマンは中央トルコに位置し、首都のアンカラからシリア方面へ150キロくらい行った小さな村である。
もう何十年も前から日本の発掘隊が発掘と研究を行っており、この度できあがった研究所と博物館のすぐ近くには今も発掘している大きな穴がある。
今はだいたい5千年くらい前の(ヒッタイト文明前後の)ものを掘り出している。
土器や石器もあれば、人骨も多数出てきているらしい。

このカマンという村は太古の昔から黒海と地中海を結ぶ道と、中国からヨーロッパまでを結ぶ道の交差する所に位置しており、考古学的に非常に意味のある村らしい。

実際に僕もその穴を見させてもらい、そこを統括していらっしゃる所長の大村教授から大変面白いお話をいくつも聞かせて頂いた。
こんな若造に向かって丁寧にお話をしてくださる教授は本当に素晴しい人物で、父が敬愛している理由が僕にもすぐに分かった。
単純な僕はすぐにでも教授の弟子にしてもらおうかと、ついつい浅はかな考えを持ってしまった程、魅力的な人物だった。

教授に伺ったお話を僕の下手な説明で少しばかりすると、
例えば、今掘っている穴の中に見えている一番上の土の下には、まだもう一つ前の文明があって、
その文明が幕を閉じるときは必ずその上にある文明(今見えている土の文明)によって滅ぼされている。
だからこの穴は地層のように幾つもの文明が積み重なっていて、争いに勝ち、新たにその土の上に文明を築く民族と言うのは、確実に前の文明よりも進んだ文明を持っていたことになる。
そして、前に住んでいた民族から、彼らの文明を奪い、かつ焼き討ちなどで皆殺しにして終わらせる場合がほとんどだという。
何とも恐ろしい歴史である。

確かに日本の中でも、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と、時代の変遷の中で、武将同士の権力闘争などの戦い や殺戮はあったとは言え、文明や時代の変化ごとに、前の文明や市民もろともを灰燼にしてしまい、その屍達のまさにその上に自分たちが住むという感覚は僕た ち日本人にはないだろう。

この精神的な強さと「例え屍の上だろうが、今まで前の民族が暮らしてきた土地ならばいろいろと利便性が高いだろう」という合理性をとるような考え方は、日本人とは随分と違うだろうと教授も言っていた。

やはり我々日本人は何千年も前から穏やかに協調性を持って生きてきたんだなぁーと僕はしみじみ思った。
今までそんなふうに互いを認め合うやり方でやってきた日本人が、黒船以降、洋服に着替え、突然欧米社会の考え方やルールを持たされ、世界基準の中で戦う訳 だから、他の国に競り勝つと言うことは、日本人にとって並大抵のことではないのだろう。
どうも、僕たち日本人は欧米のやり方では自分らの良さが出せないと思う。

また、文明の伝達というものは思った以上に速く伝わっていたらしく、3千年以上も前にヒッタイトによって生まれた鉄を作り出す技術がトルコから中国までなんと2、3年くらいで伝わっていったであろうと言われている。
今から何千年も前のことなのに、まるでインターネットで瞬時に伝わる現代のようだ。
今も昔も人間が情報を欲する力と言うのはものすごいんだなと思った。

そして何よりも教授から聞いた話で、僕にとって興味深かったのは「信じ続けることが大事だ」というお話だ。
確かな研究による裏付けや考察を持つことは大前提として大事なのだが、自分の考えを信じ、仕事し続けると、必ず自分の推論を肯定できるような発見が現れる、発掘されるというのだ。
とはいえ、教授の場合、その最初の大発見まで30年かかったと笑っていた。
30年信じ続ける心とは、どれほど強いものなのだろうか?

そんな大変興味深いお話に聞きいっていたらあっという間に時間が過ぎ、式典の時間があと3時間と迫っていた。

急いで式典会場に駆けつけると、なんとまだステージが出来ていなかった!!!
ホヘーーー、うそーん。スペイン人もびっくり。
というか、トルコ人ののんびりさ加減はスペイン人のさらに上をいっていた。
なんだ?この、ゆったり感は!!!ゆとり教育の賜物か!

工事をしているおじさんがのんびりと「式典が始まるまでには完成しますゼ」と笑いながら言ってくれる。
僕はまったく笑えない。そして楽屋で準備している短気な父にはとても怖くて言えない。

気が短い父はこの現状を見て、絶対に頭に血が上り、そしてこのトルコの灼熱の太陽に頭を焦がされ、脳の血管が切れて「死ぬ」だろう。
あぁ、悲しいが、父が死んだらあの発掘中の大きな穴に5千年前の人骨と一緒に埋めてあげよう。そして父の大好きな教授にまた掘り起こしてもらい標本にしてもらおう、と空回りする頭で考えていたら、父が会場の様子を見に来た。

心の中で「あ、死ぬ!もうキレて死ぬ。さよなら親父」と思ったら、父は笑顔で「おや、まだ出来てねぇなぁ。まぁ日本じゃないとたまにこういうこともあるわな。」ととても落ち着いていた。
なんなんだ?この落ち着きは?
きっとこの人は先ほど一回死んで今は仏様になったのだろうと僕は自分を納得させた。

歳のせいか、最近の父は日本から離れて仕事をすることをほとんどしなくなった。
今回はそんな父がいつもの自分の楽団とは違う、言わばアウェイの中で一人棒を振る。
ゲネプロもアンカラで一回しかしていない。
いくら父が経験豊富だとしても、僕は彼の年も考えて少し心配になっていた。

ステージは式開始の5分前にどうにか出来上がって、無事に式典が始まった。
父は自分の出番をそでで待つ。
久しぶりに見るタキシード姿の父の背中はいつものように猫背で、僕の記憶よりも少し小さくなっていた。
年とったなぁ。もうすぐ80だもんなぁ。と僕はぼんやり思っていた。

そして、いざ、式典が始まり、
オーケストラの演奏になると父の姿はガラリと変わった。

背筋がピンとまっすぐに伸び、実に楽しそうに若々しく棒を振っていた。
オーケストラとの関係もよく取れていて、まるで自分の楽団のようだった。
身内を褒めることを僕は嫌いなのだが、誠に格好良いじいさんだった。

これから先、もう何度とは見ることの出来ない父の仕事姿をそばで見れて、息子は嬉しかった。
カマンの沈む夕日を向こうにした逆光の中、目を凝らしてシルエットになった父の姿を目に焼き付けた。

ぎりぎりの幕開けだったし、屋外というオーケストラにとってかなり辛い条件であったにも関わらず、落成式典も演奏会も大成功に終わった。

いつもは静かなカマンの村に、その日はいつもと違い、オーケストラの演奏と千人以上の出席者の大きな拍手が鳴り響いた。

そして、いつもと同じ綺麗な夕日が地平線に落ちた。

旅ではこの日のことが1番僕の記憶に残っている。
あとは年取った猫背の父と残りの旅がすこし続き、イスタンブールを最後に両親は日本へ、僕たちはスペインへと別々に旅立った。

これが僕にとって、久しぶりに両親と過ごした短い夏の出来事だ。
そして今、僕はマドリードの暑いアトリエで秋の作品と格闘している。

あれからもう3週間が経つが、僕はたまに、ふと思うことがある。
しばらく静かに眠っていたあの穴の中の5千年前の人たちには、あの日の音は心地よかったのだろうか?それともうるさかったのだろうか?と。

カマンに向かう道中、野良子犬にからまれている私 カマンに向かう道中、野良子犬にからまれている私

研究所で飼っているオオカミの孫(犬とのクォーター)オオカミの血を引くのに超恐がり 研究所で飼っているオオカミの孫(犬とのクォーター)オオカミの血を引くのに超恐がり

カッパドキアにて父と息子 カッパドキアにて父と息子

カマンの村に沈む夕日 カマンの村に沈む夕日

 

神津善之介

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