神津 善之介 公式サイト

2010年1月


今年は年の頭から風邪をこじらせてしまった。
この風邪はしつこくてなかなか完治せず、ほぼ1ヶ月の間、ずーっと身体の中で燻っていた。
今月はコラムも随分と掲載が遅くなってしまった。
自分のホームページ内のコーナーだから良いが、仕事のコラムだったらとっくにクビになっているだろう。

さて、僕がスペインに住み始めたのはバルセロナオリンピックが開催された1992年の秋だった。
そのころの僕は19歳だった。それから17年が経ち、今年は18年目。
もうすぐスペインと日本が僕の人生を半分づつに分かち合うことになる。
最初の頃の僕はスペインの習慣や、日本とスペインとの物の考え方の違いに随分と苦労した。

例えば、日本の場合は一つの行動をとっても「ここではこういうルールだからこういうやり方でする」というものが、スペインでは「したいからする」と随分シンプルに変わる。
言っている意味がちょっと解り辛いかもしれないが、どういう事かと言うと、スペイン人の場合はまず体や口を動かす前に「したいか?したくないか?」と言う欲求が何よりも大切であり、それが全ての主体だということ。
日本の場合は自分の欲求と同時にそれ以外の意識も働いている。
日本人はいろいろと規制やしがらみの中、協調性を持って動く。
「したいか?したくないか?」という欲求よりも先に、上で述べたような、人にどう見られるかという意識の方が先に働く。
だからそう言う意味ではスペイン人の方がシンプルに見える。

ただ本当に考え方がシンプルかと言うと、決してシンプルでもない。
欲求はいたってシンプルだ。だが、その欲求を叶えるための手段や理論武装は非常に複雑である。
絵で例えれば、彼等の描く絵は強い。そのうえ少し複雑で読み解き辛い。まったく困ったものだ。

日本人は真の欲求の在りどころが解りづらいものの、方法はスペイン人よりある意味よっぽどシンプルだったりする。そして日本人はルールには厳しいが、沿ってさえいればその中では自由だ。
スペイン人ははっきりとした意思がある分、そのルールは変幻自在でへ理屈が付いてまわる。
それはラテン語と日本語の文法の違いからも解ると思う。
主語の次にすぐ動詞が来て、その後でいろいろと条件が付く言語と、最初にいろいろと条件をつけて、やっと最後に動詞がくる言語。その違いがそれぞれの思考にも表れているんじゃないだろうかと僕は思う。

そんなスペイン人と交渉するのは一苦労だ。いままでも僕は彼等に自分の交渉力を随分と鍛えられた。

先日も日本から友達が来ていたのだが、大寒波による雪のせいで空港にまる1日半閉じ込められてしまった。
もちろん飛行機はキャンセルで、直行便のないスペインから日本への新たな帰国便の確保などはこの交渉能力の有る無いにかかってしまう。
日本だったら、まずクレームセンターやら保証やらと言う事になるのだろうが、スペインの場合は「そんなもの知らん!」と言われて終わりなのだ。
大事なのは「如何に相手を言い負かして納得してもらうか」なのだ。とは言っても相手を怒らせてしまってはヘソを曲げてしまい交渉は前に進まないから、強く言ったり、泣いてみたり、いろいろと大変なのだ。
先日は久しぶりに友の代わりにスペイン人とそんな交渉をして、昔は自分も頻繁にこんな事をしていたなぁと感慨深く思い出してしまった。
昔は今よりも言葉がつたないから、最後は飛行場のカウンターのおばさんに「今、親父が死にそうなんです」とよく言ったものだ。もう5、6回は父を殺したと思う。

ただ、これらの話はスペイン人を悪く言っているものではない。
逆に褒めている感じに近いと思う。
今では日本に帰ると(?)と思う事の方が多い気がする。その感情が良い事なのか?悪い事なのか?は解らない。

スペイン人の良いところは他にもある。
例えば日本では休みの日にお金を使わないと楽しい休みを過ごす事が難しい。
けれど、スペイン人は冷蔵庫の残り物を鞄に詰め込んで、ただ原っぱや海や山に行って、わいわい騒ぐ。そして夕日を眺める。もしくは教会に行って教えを受ける。
自然の中で特に何をする訳でもない。ただ好きな人や好きな音楽と一緒にボーッと過ごす。
それで彼等は幸せなのだ。僕も今ではそんな幸せが良く分かる。
それができるようになると、自分の幸せを感じる幅がとても広がる様な気がする。

もともとスペインは貧乏な国だったから、お金を使わないで楽しめる方法を知っている。
もしくは、昔から国に階級社会があるから、自分の身の丈の生活、身の丈の幸せの感じ方を知っているのだ。
逆にどうしてもそこから這い出たい人間は苦労して努力するから強くなる。
こういう感覚は今の日本では希薄だろう。

そのスペインでさえも17年経ち、ここ最近は随分と変わってきたように思う。
スペインもEUに加盟し、他のヨーロッパの国に追いつけ追いこせでやっているうちに、スペインと言う身の丈が解らなくなってしまったのではないか?と感じることが増えた。
いや、国としての成長に文句をつけている訳ではない。ただ昔の自分を忘れかけているスペインに何だか嫌悪感を感じるのだ。
資本主義社会、インターネットによる情報社会がどんどん進み、国家が進化した結果、悲しいかなこの国が持つ独自性が無くなってきているような気がするのだ。そこに僕は危機感すら感じる。

確かに、この国はここ20年でもの凄く機能的で便利でお洒落になった。

でも、僕はたびたび便利と不便について考える。便利と不便と幸せと物足りなさの関係について。
少しの便利というものは時間とともに人は慣れてしまう。同じように幸せにも慣れる。
そうすると人は自分の生活に次の幸せや便利を求め、いつしか物足りなさを感じる。

また不便な生活が便利なものになるという事は、自分がしていた作業、仕事が省けたという事だ。
けれど、その省けた仕事は機械か、他の人がしてくれているのだ。その仕事を自分以外のものに任せているのだが、人はそれを忘れてしまう。
「自分の責任から解放され、他力に任せたのだからその仕事が満足なレベルに届かなくても仕様がない」という事を忘れてしまう。
また、省かない代わりに自分がやり遂げた分、味わえる達成感があることも忘れてしまう。
何かを得る代わりには、何かを無くしているのだ。

便利になる事は良い事だ。
でも僕たちも、スペイン人達も確実に何かを無くしてしまった。
無くしたものは国や人によってそれぞれ違うものなのだろうが、きっとそれぞれに大事な何かを無くしてしまった。僕はそう思っている。

進化するという事はただすれば良いだけではなく、実はとても難しいものなのだなぁと改めて思う。

さて、今年の僕の絵は少しでも前に進むことができるのだろうか?

 

神津善之介

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