神津 善之介 公式サイト

2009年2月


人の絵を見る事は勉強になる。「人の振り見て我が振り直せ」だ。
他人の絵は自分とまったく違う視点でものを見ているので、ものの見方に新たな発見
を与えてくれる。
だからと言って、僕は他人の絵をよく見に行く方でもない。
もともと僕は出無精な性格で、展覧会を観に行くのがついつい面倒になってしまう。
また、良くも悪くも何かしら影響されてしまうので、僕は自身が制作に追われている
時は、人の展覧会をあえて見ない。
ただ、今は忙しくないので、興味のある展覧会にはなるだけ足を運ぶように心掛けて
いる。

今、マドリードはARCOという現代アートのアートフェアが行われている。
これはスペイン内外の今のアートの流れが分かって面白い。
また、プラド美術館ではフランシス ベーコンの特別展が開かれている。
そして、スペインの北、ビルバオ市にあるグッゲンハイム美術館では村上隆氏の回顧
展も開かれるらしい。
是非、観に行こうと思っているのだが、まだどれも行っていない。

美術館で絵を見る時、僕は1枚1枚ゆっくりと絵を見るような見方はしない。
一度、部屋全体をサーッと見て回り、その後で気になった絵の所に戻り、
何故この絵が気になったか?何故この絵が好きか?を考えながらゆっくりと見る。

すると、何故かその絵は高名な絵描きの作品である事が多い。
勿論「あ、この絵は知ってる!」とか、「この絵のスタイルはきっと彼だ!」と思っ
て見る場合もある。
けれど「気になって名前を見たら「ジョアン ミロ」のまだ若い時の作品で彼独自の
作風が出来上がっていない頃のものだった」と言うような事も沢山あるのだ。

人はものの名前やブランドに影響を受けてしまうところが多少はある。
けれども、その名前を見ずとも、気になった絵は聞いた事のある名前の画家の絵であ
るという事も、また多い。
高名な人の絵は何かしら人を引き付ける力があるのだろうか?
もしくは、だから高名になれたのだろうか?
そんな事をつい考えてしまう。

ところで、最近何故か自分が好きな絵描きがみな抽象画家である事に気付いた。
アントニ オタピエス、マーク ロスコ−、パウル クレー、イヴ クライン、エドゥア
ルド チリダ など。

ものを見て美しいと思うのには、形の美しさに心を惹かれる時と、色彩の構成に心を
惹かれる時がある。
日常生活の中ではこの2つが合わさり、美しいと思うのだと思う。
まず何の風景かを理解したうえで、その色彩や形体のバランスに感動するのが普通だ
ろう。

例えば「あぁなんて綺麗な海だ」と言う風に、
海だと言う事を理解したうえで色の美しさを感じる。

けれど、この「海」が何だか分らなくても、美しいと思う事はきっとある。
それは絵の場合で言えば、説明をできるだけ省き、形の美しさか、色彩構成の美しさ
だけを際立たせたものになる。
抽象絵画の創世記の哲学に近い。

「これはウニとフォアグラのムースです」と言われて食べるのと、「さて、これは黄
色い内臓とベージュの内臓を混ぜたものです。味はどうでしょう?」と言われながら
食べるのでは、ちょっと気分が変わるのではないだろうか。

人は目の前のものが何なのかを理解できると安心する。
そして安心しないと、そのものを受け入れられない。

けれど、理解できなくても旨いものはあるし、美しいものもある。

その理解を超えた美しさが抽象絵画(全ての抽象絵画ではないが)の中にはあり、
今の僕はその魅力の定理を探し出したいのだ。

僕は、だれもが見たことのあるような、誰の心の中にもあるような美しい海を描きた
いと思って描いてきた。

でも最近たまに、だれも見た事のない美しい海が描きたいと思うことがある。
いつになったら描けるか分らないし、海ではなくて石だらけの荒野になっているかも
知れない。

でもずっと歩き続ければ、いつか海に出る。
そう信じて歩き続けるしかない。

自分の絵を見ながらそう思った。

 

2月のアトリエにて
神津善之介

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