神津 善之介 公式サイト

2008年5月


僕は絵の中に精神性がある方が好きだ。
技術が目立つ作品は、僕は好きでない。
技術は非常に大事なものだが、それはあくまで自分が表現したいことを伝える道具で あって主役ではない。
いくら技術が優れていようと、それが表す中身が乏しいと、僕 は物足りなさを感じる。

僕は筆が早い方なので、描き出すと早いのだが、描くまでに時間がかかる。
それは絵の中心になる精神や、それを表すための構図を考え出すのに時間がかかるか らだ。

むかしチンチョンという村で、師匠に付いて絵を習っていた時、アビレスという絵描 きの仲間がずーっとキャンバスに向かって筆を動かしているのだが、3ヶ月経っても 絵がなにも変わっていないので驚いた事があった。
僕はせっかちなので、白いキャンバスに自分の絵が浮かんだら、早くそれを白の上に 浮かびあげたくて必死に筆を動かす。
だが、キャンバスに絵が浮かんでこないと、長い間いつまでもボーッとしている。
それも実は絵を描いていると同じなのだが、なかなかそうは思ってもらえないのでは ないだろうか?と思うことがある。
同じ時間絵に携わっていても、多分アビレスの方が絵を描いているように人の目には 映るだろうと思ってしまう。

という事でここ2、3カ月間、実に忙しいのだが、どうも僕が大して忙しそうに見えていないのがまったく残念だ。

「忙しい忙しい」と連呼しながら、頭の中を整理するのため、グチャグチャの部屋を 掃除しはじめたり、個展会場で流す音楽のリミックスを作る僕を通りすがりの嫁が横 目でチラっと見て去っていく。
実際に絵筆を持っているのは夜中が多く、その時間嫁は寝ている。
嫁に何も言われていないのだが、どうも「本当に忙しいのか?」と言われているよう な疑心暗鬼になる。
またタイミングも悪く、ゲームのWiiのリモコンをほんの一瞬握った時とかに嫁はア トリエに入ってくる。
「あれ?これは筆ではないね?この白い直方体はなんでしょう?素材はプラスティッ クですな」とかぶつぶつ呟く僕をまた横目で見て何も言わずに去っていく。
あー、絵を描いていないと思われているぞ絶対。
とまた疑心暗鬼に落ち入る。

そう、タイミングと言えば、昔から悪い方だった。
ずーっと勉強していたのに、ちょっと少年ジャンプに目をやった瞬間、ドアが開いて親父が入ってきて叱られたり、大事な写真撮影がある日にかぎって目がものもらいに なったりした。
ヒゲが生え始めた頃、初めてのデートの前の晩にヒゲを剃ったら血だ らけになった。
大学受験は下痢だったし。
思い出せばそんな人生だった。

話がずれたが、何が言いたいかと言えば「わたくし、何もしていないようで実はいろいろと考えているんです。
それを人にアピールしたいのですがどうしたら良いのでしょうか」と言うことだ。
子供電話相談室に電話して尋ねようかとも思ったが、解答する先生の中に僕の姉も入っ ているのでやめた。

そこで考える。
自分を絵描きだというから「絵を描いていないと絵描きではない」と思われがちなの だ。
そうだ。
今日から僕は「詩人」になろう。
そして愛の詩を詠い続けよう。
「マドリード嗚呼マドリード愛の街」・・・うーん、 酷い。
まったく才能を感じない。
そしてなぜか俳句になってしまう。
ならいっそのこと、俳人になろう。
イヤ、多分人には「廃人」と言われるだろう。
では「芸術家」になろう。
・・・・なんかうさん臭いな。
だいたい芸術家ってなんだ? そして、そもそも「芸術」とは何なんだ?

芸術という言葉は非常に曖昧で難しい。

スペインの場合、まず、アート(スペイン語ではアルテ)という言葉は、 アルチザン(工芸:スペイン語ではアルテサノ)が変形したもので、 ルネッサンスの時代、あまりに素晴らしい作品が生まれたので、 その時代の法王が「これらの作品につける名前がアルテサノとは別に必要だ」と言い 出し、では頭の文字をとって「アルテにしよう」と言う事になったのが語源だと、言 われている。
だから、もともと作家は自分で自分の作品をアルテとは呼ばない。
他人が作品を見て、それを素晴らしいと思ったら「これはアルテだ」というのだ。
そうスペイン人から聞いた事がある。

また「EARTH」という英語。
「大地が原義で、地球」と言う意味だが、 これにも説があって、 「EDEN」「アダムとイブが住んでいた楽園、極楽」と、そして「HEAVEN」「天国、極 楽、空が原義」という二つの幸せの地。
けれどそれは今の地球には存在しない場所なのだが、実は「EARTH:地球」の中にもこの二つの幸せの地はあり、その地の頭文字「E」と「H」、この二つの文字を結ぶも のが「ART」で、それを足すと「EARTH」になる。
だから地球上で人を幸せにできるも のは「ART」だという話。

まぁ、結局のところ、ハッキリとした芸術の定義なんてモノはなく、どちらにせよ描 く側は芸術とかどうとかなんて事は考えずに描く事に精進し、見る側がそれぞれ絵を 見て、その人にとって「芸術なのか違うのか」を決めれば良い事なのだろう。
ただし不思議なものでそれぞれの人が決めるであろう「芸術」というラインは無いようで、実は在る。
しかしハッキリとはそれを定義付けすることはできない。
芸術とはじつに困った存在だ。

僕は芸術は良く解らないが、絵は好きだ。
だからやっぱり芸術家はやめて絵描きに戻ろう。

なんだか、またまた話が逸れてしまった。
さて、そろそろ絵でも描きますかね。


神津善之介

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