11月が終わろうとしている。
秋もかなり深まり、街はクリスマスムードが濃くなって、もうすぐ冬がこの街を支配し始める。
だから秋が終わってしまうその前に僕は急いでピレネー山脈の麓に行ってきた。

17年前に訪れた事のある村から、人から聞いてずっと行ってみたいと思っていた村まで、まとめてカタルーニャの小さな山村をまわってきた。
旅の日数は4泊と短かったが、RUPIT、OLOT、SANTA PAU、BANYOLES、BEGET、CAMPRODON、CARDONAなど、結構の数の村を見て回った。

今回は短い旅行なのでスケッチをとると言うよりは、資料用の写真を撮ってまわったと言う感じだ。
そこで今月のコラムはそのときの写真を載せながら書いていくことにする。

最初に泊まった村、Rupitは17年前に一度訪れた事があった村で、そのときの僕は少し鬱いだ気分だったのだが、村の美しさや紅葉の美しさに随分と心が晴れた。
そして僕は、美しい風景には人の心さえ動かす力がある事を知った。

でも17年前の僕はもの凄く貧乏だった(今でも貧乏なのだが)ので、泊まる事が出来なくて、日帰りでバルセロナに帰った。
今回は初めてこの村に泊まったので、日が沈む瞬間の山々の色や、朝日の出る前の青く染まる村の景色を思う存分眺める事ができた。
今年も温暖化の影響で気温の高い日が続き雨も少なかったので、楽しみにしていた紅葉はまだ緑が混じり、期待通りとはいかなかったが、やはりカタルーニャの村は素朴なのに独自の美意識があって美しい。

ピレネーの麓の村々は夏に賑わう。
秋になると土日の昼だけが混雑して、平日の晩などのお客はほぼ皆無だ。
村に着いたのは日曜の午後だったので、村は多くの人達がお昼を食べに来ていて混んでいた。
なのに夕方になると宿泊客は自分を含めて2組だけになって、朝起きたらも誰もいなかった。
人が誰もいない村は、風景写真を撮るには非常に良い環境だったのだが、まるで自分以外の全ての時間が止まってしまったかのようで少し寂しい感じもして、誰か居ないのか?と不安にさえなった。

東京と比べたら随分と田舎のマドリードだが、一応は首都で、その町中で暮らす僕にはこんな田舎の景色や空気の匂いがとても心地よく、なんだか身体の中の悪いものが浄化されている様にすら感じた。
日が高いうちは車で次の村へと移動し、良い小道を見つけると山道を散策した。

山に登る程、木々の色がオレンジへと染まっていくので、逆に木々の色で自分の居る標高がなんとなく分かった。
山歩きで出会う村のおじいさん達は皆元気で人懐っこい人が多く、カタルーニャなまりでこの辺りの事をいろいろと教えてくれた。
「急がないと日の入りまでに次の村まで着けないぞ!」と急かしながらも自分が話すのをやめないおじいさんのおしゃべりに少し焦りながら、「きっと都会の僕とは違う時間の流れを持っているんだなぁ」と少し羨ましく思った。

泊まった宿屋はOlotという村を中心としたカルデラが点在するGarrotxa国立公園の森の中にあり、あまり朝早く起きすぎると陽の光が山や木々に遮られて入ってこない。
貧乏性の僕は早朝に起きて、少しでも良い風景を見つけようと、絵の被写体を探してまわったのだが、やはり長く住んでその場所の特性というか、この季節は何 時にどの角度から陽が入ってくると言うような事を知っていないと、簡単には良い風景には出会えないものだと痛感した。
それでも山の木々の間を通る風は気持ちが良かった。

次に泊まったのはSanta Pauという村だった。
季節外れの旅なので、旅に出る前に泊まる処などはほぼ決めずに出かけたのだが、この村はとても可愛い村だったのでここに泊まる事に決めた。

この日、村にある宿泊施設で泊まれる所は1件のみで、宿泊客は僕たち1組だけだった。
夕方7時になると村には人が誰も見当たらなくなったし、唯一いるホテルの従業員も隣の村に帰るので「鍵は君たちに預けるよ。何かあればココに電話してき な。」と部屋とホテルの玄関の2つの鍵を渡され、ホテルにも村にも僕と嫁しか居ない状態になった。

ホテルはアンティークで飾られて、古いマネキンや古いドレスが幾つも置かれていた。
また部屋へと続く階段の脇にはアップライトのピアノが楽譜も置かれ鍵盤の蓋が上がったままでいつでも弾ける様に置いてあった。
ついでに言えば、ホテルの隣は村のお墓...。

こんな最高の環境の中、僕たち夫婦は一致団結し、絶対に「今、何か音がしなかった?」とか「ここヤバくな い?」などという事は絶対に口にせず、テレビがプツーッと突然切れようと、何も無かった様にまたテレビを付け直し、沈黙を恐れどうでも良い内容のおしゃべ りを永遠に続けた。
二人とも少し寝たが、ほとんどね寝てないような感じで朝を迎えた。

貧乏性の僕はまたまた日の出と同時にカメラを持って一人で村の撮影に出かけたのだが、ホテルに一人置いていかれる嫁は僕の背中に向かって「この人でなしーっぃ」と叫んでいた。

朝日も随分と昇り、一通りの風景写真を撮り終えホテルに戻ったのが朝8時半。
まだ誰もいない。
朝になってみれば可愛いホテルだし、庭も美しく、美味しそうな柿が朝日に照らされていた。

はぁー、無駄におびえて疲れたぁ。と自分を笑いながら階段を上る時、ふと横のピアノを見ると何故かピアノの椅子が昨晩と違う向きに置いてある。
「あぁ、誰かが弾いたんだ」「・・・うーん?誰が?」ひやぁー。
ここに泊まると決めたのは僕なので、この事は嫁には言わないでおこうと決めた。

部屋に戻ると鍵がかかっていてドアが開かない。でも中からはテレビの音がする。
「おーーい。入れてぇー!」嫁を呼ぶと「かよわく可愛い妻を置いて散歩に行くような人は私の夫ではありません。ですから知らない人を部屋には入れられません!」と怒った返事。
10分近い交渉の結果、どうにか中に入れてもらい荷造りを済ましたところでホテルの人がやっと来た。
朝日の中、庭で朝食をとり、また次の村へと出発した。

ホテルを出て車に荷物を積みこむ時、嫁が言った。
「ねぇピアノの椅子、動いてたよね...?」
・・・・・なかなかの体験でした。

山や森での撮影はほとんど終わり、100%満足とはいかなかったがある程度撮りたい風景は撮影出来たので山から下りて、最後の晩はCardonaのパラドールホテルに泊まった。
このCardona村にはパラドールに泊まりたいがためだけに来た。
ここは知人達のスペインおすすめ宿のベスト10に入るホテルなのだ。

パラドールとは国がやっているホテルなので、言わば国民宿舎なのだが、もの凄くサービスもホスピタリティーもレベルが高い。
最近はおしゃれなデザインホテルがいっぱいできて、そういう格好良くてお洒落というものは沢山あるが、古き良いものというのは日本に限らず、ここスペインでも無くなりつつある。

そんな中でここCardonaのパラドールはお城をホテルにしてあり、見晴らしもサービスも部屋も素晴らしかった。偉そうに言っているが、いつも安宿にしか泊まらないので、少しでも良いホテルに泊まるとすぐ感動してしまうのだ...。

ただ、ここもお城なので如何せん、友達曰く「見える人には見える」宿らしい。
しかし、前の晩に素晴らしい経験をした僕たちに何も恐いものは無く、「ここには従業員も宿泊客もいっぱい居ていいねぇー」「村の規模が大きいと安心するねぇー」と城の中をはしゃぎ回りながら探検して歩いた。
またお城は見晴らしの良い高台に建っているので、夜景も朝焼けも綺麗だった。

最後の日、バルセロナ空港に向かう前に、僕たちはずーっと食べたかった旬の長ネギ(カルソーッツ)を食べにTarragonaと言う街の隣村Vallsに寄った。
ここがカルソーッツの名産地なので、最高に美味いカルソーッツを気持ち悪くなるくらい食べて、旅は終了した。

旅の途中、何匹かの友達もできた。
出来るならば皆連れて帰りたかったが、飼い主に捕まったり、飛行機で手荷物の重量オーバーになったりすると面倒なので泣く泣く諦めた。

帰り路、高速道路から見える景色は、収穫の終わったワイン用のぶどう畑だった。
黄色いブドウの葉が夕日に照らされて美しく光っていて、その光はまるで白ワインの色だなと思った。

さあ、マドリードに戻ったらどの風景を絵にしようか?
いや、今は随分と興奮しているから、まだしばらくは静かに頭の中に貯めておいて、いろんな澱みたいなものが沈むまで待とう。
そしてもう少し熟成したら絵にしよう。

絵にだってある程度の熟成は必要なのだ。
少しでも、ここカタルーニャのワインのように美味いものが出来るためにはね。

 

神津善之介