PONT-AVEN 夏の終わり 2009年制作
72×72cm
CANCALE 茜さす 2009年制作
35×81cm
昨年まで続けていた空の面積を大きく取るスタイルの構図を少し変えてみようと思い描いてみました。
昨年迄の空:地の比率が85:15くらいだったのですが、今年は(絵によってですが)70:30もしくは60:40くらいで描いてみました。しかも今年は空に雲で表情を付けてみました。
僕の理想で言えば、風景画と言うよりも何もない空間にほんの少しだけ写実的なものを入れて画面を成立させたいと言う考えがあったのですが、今年はもう少し素直に風景として画面に取り組みました。
アトリエで描いたのですが、あの日の草や潮の香り、出店の甘い匂いなんかを思い出しながら描きました。
HONFLEUR カンマーシュテイル 2009年制作
41×65cm
これらの絵は緑にあたる陽の光を描きたくて取り組んだ作品です。
この絵の場合、空のように大きく取れる余白部分がなかったので、画面の中に主になる対象物を作り(1枚目は左手前の木で、2枚目は車)、そこはピントが合うようにして細かい筆で描き、それ以外の周りは大きな筆で大きく描きました。改めて、自分は緑や陽の光が好きなのだと思いました。
今年の東京での個展に出品する新作です。
今年は光を求め、光を描いた作品展にしようと思っております。
嬉しい時、悲しい時、そして悩んだ時、私は陽の光に、勇気づけられ、元気を貰います。
今の世の中があまり明るいものではないのならば、私は光を描きたいと思います。
朝日が照らす庭だったり、夕陽が染める雲だったり、それらは実際に見た風景なのですが、きっと心象風景でもあるのでしょう。
なぜなら私の心に残る風景はいつも思い出と重なって、キラキラ光っているのですから。
2008年12月新作
タイトル:朝霧モンサンミッシェル
72×72cm
2008年の東京の個展に出した作品です。
水辺の美しさ、空の美しさ、描こうとすればするほど、難しく、自分の力の無さを
感じる次第です。けれど、それでも描きたい。
この世にはいろんな絵がありますが、僕にとっての絵とはそう言うものなのだと思います。
そしてこれからもそうやって絵を描いていくでしょう。
難しい路ですからきっと苦しむでしょう。でも心はこのベニスの絵のように優しく晴れているはずです。
2008年6月新作
ウィンダミア湖、絹の雨
100×100cm
ウィンダミア湖、絹の雨2
50×50cm
私は油彩を使いますが、日本画的な雰囲気を持つ絵を描きたくて、この絵に取り組みました。
私はひねくれているのか、色に溢れた絵であるならばモノクロームな雰囲気を持つ絵、白黒の絵であれば色を感じさせる絵が好きです。
雨をモチーフに選んだのは初めてです。
雨を描くことはとても難しく、ならば直接的に雨を描かずに雨を感じさせられたら良いな思い、その感じを出すことに苦心しました。北イギリスの夏は肌寒い日もあり、そばにいた鳥と一緒に雨が水面に作る波紋をずっと眺めていました。
2008年5月新作
20:15/パルマ デ マジョルカ 夕景
72×72cm
21:00/サン ビセンテ デラ バルケラ夕景
100×100cm
2008年マドリード個展用に描いた絵です。個展のタイトルは「余白」です。
昨年日本で発表した絵、空の面積を大きくとる風景シリーズの延長です。
空は面積を広くとって、筆ではほとんど表情を描き入れずに、垂らしこみの要領で仕上げていきます。
その空の描き方はまだまだ追求できそうなので、今回は幾つかの実験をしていこうと思って描いています。
主に西洋絵画よりも日本画のほうに重んじられる精神性だと思うのですが、「描かない部分というものは、描く部分よりも、実は難しく、奥深い」という考えがあります。
実にその通りだと私も描いてみて教えられました。
暁天:朝日に染まるセイント・マイケルズ・マウント
80×80cm
入相:アルカラ通り13番
30×80cm
2007年3月作品
シベレス広場の噴水(マドリード)
60×60cm
2007年2月作品
夕暮れと羊とブロードウェイタワー
73×73cm
2007年1月作品
収穫(大地):エジンバラ郊外夕景
33×65cm
2006年12月作品
サン・ビセンテ・デ・バルケロ夕景:火灯し頃
54×65cm
街の風景を描きたくなり、けれど画面の中に余白を残したくて、いろいろ考えてこうなりました。
街の風景は本当に難しいです。
僕は風景を描く時、空が真っ赤に染まる時間よりも、太陽が沈む少し前のオレンジと黄色と水色が淡く混ざりあっている時間か、沈みきったあとの残った光が薄紫色に空を染める時間を好んで描きます。
これらはそんな時間帯の風景です。
タイトル:夕景:ハバナ郊外
油彩:60x73cm
2005年に描いた作品です。もともと僕はキャンバスに大地や空の面積を大きくとって、その中に家を1軒描くという構図が好きなのですが、この何気なく描いた2枚の絵から新たに触発され、それ以降いろいろな場所で同じような景色を探すようになりました。
2006年の松屋での個展にはこのような感じの絵を発表するつもりでいます。
足跡(サン・ビセンテ・デ・バルケロ夕景)
54x81cm/油彩
6月の焚き火
60x92cm/油彩
僕は夕方の色がすきです。
けれど、描こうとすると、夕方の雲や空の色はものすごく移ろいが速い。
だから何度も何度もその時間に空を見上げます。何度描いても上手く描けません。
それでも描きたくて空を見ます。
同じような色ですが、空の色は毎日違って、自分のその日の気持ちが映されるようです。
潮路:Conposicion no8
73x116cm
もともと前の絵で主になる舟があったので、舟もなくし、もっと抽象的にしてみようとおもい実験してみたものです。
潮路:COMPOSICION No 9
130x81cm
今まで、スペインでいくつかのコンクールに入選はしていましたが、この作品で初めて大賞を貰いました。そう言う意味でも、凄く思い入れのある作品です。
上下をただのキャンパス地の白にすることで中の具象部分とのコントラストを出そうとしました。またそのことで、大きく見ると、白、青、茶、白という色面になり、抽象絵画への関わりも持たそうと試みた作品です。
雪の風景2(snowscape2)
60×60cm
これはまた上下を白で切る風景画のパターンなのですが、今回は絵の中にキャンバス地の白を残してみようという試みから始めた作品です。
なので、風景を白一面の雪景色にしました。
これはそういう意味で、対象物よりもコンセプトが重視された作品だったのです。
なのに描いてるうちに雪の美しさに吸い込まれ、筆を入れすぎてしまいました。
気がついたら、夢中で雪の美しさを追っていました。
夕桜
65x54cm
この桜は2002年に行った、秋田の角館の桜です。
日本画では沢山見かけるテーマですが、油彩画ではあまり見かけないと思います。
実際この桜という物は象徴的に描くには向いていますが、リアルに描こうと思うととても難しい対象物です。
膨らみがあって量感もあるが軽い。
色も淡く、あたる光りの影響を受けやすい。
実に難しい のです。
ただ、この不思議な儚さが僕や日本人の心をとらえるのかも知れません。
僕の師匠は「たまに桜を描くのは良い。自分の技量がまだまだ拙いことに気づかせてくれる。」と言っていました。
本当にそうです。
僕のこの絵もまだまだしっかりと自分のものになっていませんが、スケッチではない、初めて描いた桜の絵です。
薄桃色の花びらをオレンジ色の太陽が最後の光りで照らしていました。
アルファビアの睡蓮1
サイズ:54X65cm
2003年の5月のグループ展に出した作品です。
その展覧会にはもう一枚、上に載せた「夕桜」を出しました。
今回は「パティオと庭」と言うタイトルのグ ループ展だったので、緑の絵なのです。
最近はなかなか緑を描かなかったのですが、 昔に描いていたときのような気持ちで初心に戻り取り組むつもりでいました。
けれど、昔はただ何も考えずに描いていたのですが、歳をとり無駄にいろんな知識を持って取り組むと、とても難しくて、あの頃とは違う作品に仕上がりました。簡単に描けていたあの頃の自分が信じられません。
「花信風」
60cm x 92cm
2004年度の松屋個展に出品した絵です。
初心に戻り、緑と光りというテーマに取り組んだ絵です。
いろんな技法や絵の知識は増えたのに、昔よりも緑を描くことがより困難に感じました。
早朝、まだ庭師が入る前で鳥の声だけが聞こえる、マヨルカ島にある庭です。
砂の風景2 desierto2
54 X 73cm
これはイタリア、ミラノの画廊でのグループ展のための作品です。
やっと砂漠の絵が始められました。まだ砂漠に関する最初の作品なので実体が掴みきれていませんが、風景画としてはこのような作品を追求して行くつもりです。
余計な物、 色がない世界で、単純に「そこに在る」というフォルムが持つ、実体感を研究して行 くつもりです。
この2枚の絵は南中の太陽が全てを照らし白く消えゆく世界と、斜陽が作る陰の美しさの対比です。
裸の風景3
この作品は砂の風景、裸の風景というシリーズです。
僕はこの春、サハラ砂漠に行き実物の砂漠というものに出会い、 暖かさや滑り、そして艶めかしさ、というものを感じました。
砂漠の砂は乾いていたのですが、僕の目には濡れているように滑らかに映り、とても美しかったのです。
それはまるで女性の躰のようでした。
砂が作るライン。
女性の躰が作るライン。
この二つの物体はまったく違う種類のものなのに、それぞれが作る、流れの美しさは同一のもののように僕の心を奪います。
ですから、触ったものは砂であり、肌なのですが、 僕にとって、これは美しい風景です。
また、今年に入り、なぜ僕が砂漠や裸や果物そして雪といったものを描くかというと、あまり沢山の色彩が溢れていると、その事に神経を使ってしまい、今の僕では微妙な トーンや立体感が表せないので、全体的に一つの色の世界を好んでいるのです。