見たい展覧会は大抵、「まだやっているから大丈夫だ」と高を括っていると
なんだかんだで最終日ギリギリに行くことになる。
もしくは、かなりの確率で行きそびれたまま展覧会が終わる。
今、僕は絵の制作に追われているため、あまり外出したくないのだが、
プラド美術館で19日までの「ターナー展」をやっていたので、大急ぎで行ってきた。
いつもは一人で行くのだが、今日はマドリードのスーパーガイドのKazuyoさんと行ってきた。
だから締め切り前のプレッシャーを忘れ、とても楽しい時間を過ごせた。
彼女は、スペイン美術だけではなく、スペインの風習や歴史にも詳しく、スペインで分からない事があれば彼女に聞けというくらい、歴史から今の流行まで何でも知っている。
またもう一人、僕にはMoriyaさんという心強い兄の様な存在の人もいて、
この二人が居てくれると僕にとっては最強で、引きこもりのうえ、さほどスペイン全般に詳しくない僕でも知ったかぶりし放題なのだ。
ちなみにKAZUYOさんの旦那さんのFernando(僕はフェルちゃんと呼ぶ)は基本はスペインによく居る変なおじさんなのだが、実はとても才能豊かなファゴット奏者であり、またその才能以上にパエージャ(スペインの代表料理)を作る才能にも秀でている。
彼にパエージャ作らせたら、大抵のレストランでは歯が立たないほどの腕前だ。
貧乏絵描きの僕はこのフェルちゃんとMoriyaさんに今までに何度も飢餓を救ってもらった。
こんな言い方をしたら、嫁に殺されるかも知れないが、今の僕があるのはフェルちゃんとMoriyaさんと日本から持ってくるカレーのレトルトパックのおかげなのだ。
と、また話しが逸れた。
どうも僕はいつも話しが逸れる。
話しを戻して、ターナーの感想だが、
この展覧会にはかなり沢山の彼の作品が出展されており、
作品の好き嫌いにはかなりのバラツキがあったものの、総合して言えば、実に素晴らしかった。
密と粗のバランス、解釈の仕方、彼は確かにマエストロだった。
彼はイギリスの絵描きである。
イギリスに行った人は分かると思うが、イギリスはフランスやイタリアそしてスペインと比べるともっと雨が多く湿度も高い。
そして、彼の絵の中に、その湿度があるのだ。
日本や中国の水墨画の湿度の表現とも違うのだが、確かに湿度を感じた。
また、彼の人生の後半に描かれた作品は、ほぼ完成された印象派の絵を描いている。
だがその絵が描かれたのは、実は印象派が生まれる30年以上も前なのである。
そして絵のバックの処理はほとんど抽象画に近い。
印象派の絵描きたちはターナーと日本の浮世絵から随分と影響を受けた事だろう。
浮世絵で思い出したのだが、1867年のパリ万博の日本館で印象派の絵描き達は浮世絵に出会う。
その時に日本からパリの日本館に持ち込まれた展示品の一つが芸者さんだったという。
なんと、展示品が生きてる芸者さんだ!
パリ人、どう思っただろう?
モネやウィスラーなど、印象派の絵描き達がやたらとゲイシャ風の人物画を描いていたのは、きっとそのときに本物の芸者さんを見て、かなりの衝撃を受けたからであろう。
こっちの人はよく「日本」と言えば「サムライ、ゲイシャ」と言ってくる。
僕の想像では、きっと今のパリッ子のひいひいひい爺さんあたりがよく孫に「ジャーパンという国のおなごは真っ白で凄かったぞぉー」と言っていたのが段々と広がり、いつの間にかこんな風に芸者という言葉が定着したのだろう。
侍も芸者もヨーロッパでの歴史はかなり古かったんだなぁーとしみじみ思う。
ちなみにスペイン南部アンダルシア地方の中心地セビリア近郊のコリア・デル・リオ市にはスペイン語で日本を意味するハポンさんという名字の住民が六百人くらいも住んでいる。
十七世紀に伊達政宗の使いとして、慶長遣欧使節団がスペインを訪問し、マドリード経由でローマの教皇パウロ五世に会った後、何人かは日本に帰国せずその村に残った。その日本人の子孫といわれている。
だからスペインでの「侍」の歴史もかなり古い。
あっ!まただ。...申し訳ない。
どうも僕の話は逸れる。
この性格は小学校の通信簿の「先生からの注意」という欄に書かれていた事からなにも変わっていない。
話が逸れた結果、僕はよく出発地点を忘れる。
これでボケが始まったら、冗談でなく、永遠に話しが終われない男になる。
で、なんの話しだったっけ?
あ、ターナーだ。
ボッシュの絵を見た時や、モネの絵の時も感じたのだが、
あの時代にあれだけぶっ飛んだことができるというのはもの凄い事だと思う。
天才だ。
でも、それと同時にまた違う事も考えてしまう。
その時代には芸術にも恋愛にも日々の生活にもかなりの厳しいルール(モラル)があったと思う。
人はその束縛が強ければ強いほど、そこから逃れようとする気持ちも強くなり、その気持ちが弾けたとき、革命が起きる。
例えば、印象派の最初の展覧会の時、あの優しい絵に対する評価は
「妊娠をしている婦女には刺激が強いから印象派の絵は見せてはいけない」
であったらしい。
今では考えられないが、あの時代ではそれだけスキャンダラスな絵だったのであろう。
ルールの中に居て、そこから外れる時の風当たりはもの凄い。
けれども、そこから外れた時に新たな世界観が生まれる。
だからルールというものがあるおかげで新しいものが生まれるのも事実だと僕は思う。
日本で言えば、お茶やお花なんかもそうだし、歌舞伎の世界にも沢山のルールがある。
そこで、新しい舞台をやれば、風当たりも強いが、革命児にも成れる。
けれど、その舞台を歌舞伎小屋ではなく、普通の劇場でやったら、ただの演劇であって、革命的ではない。それは歌舞伎のルールがあってこその革命なのだ。
ルールの多い世界の中で新しい事をやれば、「革命的」だが、もっと広い世界に出れば普通か平凡になる。
今のこの世の中にはルールがほとんどない。
そこらの歌謡曲でも「僕たちは自由なんだ。好きに生きれば良いよ!」と歌っている。
ルールなんてあっても無視されたり、うまい言い訳を使って道理や筋を通せば、大抵の事はなんでもできる時代である。
恋愛だってなんでもありの世界だ。
「純愛」と言っても何が純愛なのだか良く分からない。
純愛を際立たせて描くために極端に許されない環境を作ろうにも、今の世の中に許されない環境なんてほとんどない。
不倫と言っても「いまさら?」と言った感じである。
こんな時代に良い恋愛小説を書く事は難しいだろう。
絵だって、コンテンポラリーという括りの中ではほとんど何でもありだ。
ある種、感覚の問題で「これは面白い」「これはお洒落だ」でオーケーと言った感じすらある。
阿藤快でなくとも「なんだかなぁー」と言いたくなる。
僕はこんな世の中だからこそ、あえてルールのある世界に興味がある。
決められた見方をさせられる方が、実は違った見方を見つけられるものだと思う。
ターナーもモネもボッシュも、何がどうであろうと、めちゃくちゃ素晴らしい巨匠だ。
それは揺るぎのない真実だ。
ただ、彼等の時代と違い、ルールという壁が少ない現代で、次世代の巨匠は何を壊せば良いのだろう?
考えだすとまた暗くなってしまう。
でもまぁこれが、まだ「卵」とも呼んでもらえない現代の若手絵描き達の背負った宿命なのだろう。
今はまず、壊すための壁を見つけるところから始めなければならない。
最後にまた話しが逸れるが、
スペインの神津家には嫁が決めた結構沢山のルールがある。
そして、僕はそのルールを破る事がストレスの発散となり、そんな僕の存在自体が嫁のストレスとなっている。
......革命が起きる日も近い。
神津善之介