さて、今月のコラムで息子が1歳を迎えるまでの事をだいたい書き終える。
だからこれからしばらくは息子の事ばかりを書くというようなことはなくなる。
次回からは通常営業に戻るのでご安心頂きたい。
ということで今月のコラム、どうか最後までお付き合い願います。
2012年1月が始まった。
クリスマスはスペインの方が雰囲気があるが、正月は日本の方がなんだか気が引き締まるような気がして、気持ちがよい。
ウノにもそんな気持ちが分かるのか、なぜか神妙な顔をしてるので、私が正座して正月の挨拶をすると、ウノはう○ちをしていただけだった。その正座の姿勢のまま「書き初め」の要領でオムツ交換。
引き締まるどころか、肛門が開いていたらしい。
早くもウノからお年玉をもらってしまった。
そんなウノはもう腰は座っているのだが、まだハイハイが上手く出来なくて、いつも四つん這いになっては「うーんうーん」と唸っている。
しばらく見ていると何日かで、少しだけ後ろ向きにハイハイするようになった。
大人にしてみたら後ろ向きでハイハイする方が難しいのに、なんでそっちが先なんだろう?と不思議に思う。
後ろ向きに進み、たまに振り返って方向を確認する仕草が可愛くて笑える。
ウノの髪の毛はまだ一度も切った事がない。
他の子と比べても割と多い方で、てっぺんが特に伸びているので、今のヘヤースタイルはソフトモヒカン風になっている。
そして歯が生え始めているらしく、よだれが尋常じゃなく垂れているので、大抵はよだれ掛けを首に巻いている。
モヒカンでよだれデロデロのウノがもし大人だったら確実に道で尋問されるんだろうなぁ、とウノを見ていると、どうでも良い事をついつい考えてしまう。
赤ん坊はみな音楽が好きだという。
ウノの場合は私の父の膝の上で父と一緒にピアノの鍵盤を叩くのがお気に入りのようだ。
ウノが私の実家に居る時は、よく父のスタジオで父の膝に乗っている。
また、ウノは柑橘系(特にみかん)が大好き。
ラッキーな事に嫁のお母さんの実家がみかんを作っているので、ウノはとても贅沢にみかんを食べている。
そう言えば、私も幼いころ手が黄色くなるくらいみかんばかり食べて、叱られていた事を思い出す。これも遺伝なのか?
子供が生まれたことで、新しい付き合いも生まれた。
同じような子供を持った、いわゆるママ友という名の友達が嫁に出来た。
私はその付き合いには参加しないが、嫁が先輩ママ達からウノよりも大きくなった子供のお古(特に服)を沢山頂くようになった。
これにはとても助けられていて、貧乏絵描きはそんな成長の早い赤ん坊のために幾つも服を買ってはやれない。
またじいさんばあさん達は昭和一桁生まれなので、「子供がそんなに何枚も服を持つ必要はないし、贅沢だろう」と思う人たちなので、ウノはさほど衣装持ちではない。
そんな訳で神津家は今日も周りの人々に助けられて生きている。
私たち夫婦が日本滞在時に必ず行くそば屋がある。
実家の近所なのだが、そこでたまに絵描きの大先輩、横尾忠則さんとお会いすることがある。
そう言う時はためになる絵の話なんかを聞かせて頂くのだが、今回は久しぶりにお会いしたので、横尾さんに初めてウノを紹介させて頂いた。
すると、「この子はどっち似? 善之介君似かな?」と聞かれ、「いいの?奥さん本当にそれでいいの?」と真面目な顔で嫁に何度も確認をしていた。
あれはどういう意味なのだろう?
あの方のおっしゃることは、冗談なのか真面目な話なのかの区別が難しい。
そうこうしているうちに、2月に入り、また3人でスペインに戻る日が近づく。
私と嫁のビザ(居住許可証)の更新があり、スペインに戻らなければいけないのだ。
これらの更新は4、5年に一度の事なので、大変さをついつい忘れてしまうのだが、海外に住むと言う事は面倒な事も多いのである。
それでも私がスペインに住む理由は何かと聞かれたら、絵の制作のための精神的な環境にとってスペインが合っているからということと、自分の収入で出来る生活がここの物価ならばどうにかなるからという理由だ。
まぁそんな訳で、ウノはまた飛行機に17時間ほど乗る事になる。
いつもこの状況は可哀想に思うのだが、当人はというとCAさんと楽しそうにキャッキャと談笑(言葉にはならないが)している。
スペインに戻り、また3人の生活が始まった。
マドリードの夏はもの凄く暑く、冬はもの凄く寒い。今は真冬なのでめちゃくちゃ寒い。
日本の家には普通エアコンがあるが、マドリードの我が家にはそんなものはない。唯一、自分でお湯を沸かし、そのお湯を部屋中に回すというタイプの暖房器具は付いているのだが、余り効き目がない。
今までの二人の生活ではこの暖房も使っていなかったのだが、ウノのために付けっぱなしにしている。それでも寒いのでウノが寝るときはドテラのようにいろいろ体に巻いて寝ている。なんにせよ来月のガス代が怖い。
こっちに来てからウノは完璧にハイハイをマスターしていて、このスペインの家は廊下だけは長いという変な間取りの家なのだが、その廊下を我が物顔でハイハイしている。
前回書いたが、元の私のアトリエをウノの部屋にして、いつもソファベッドの上でウノは遊んでいるのだが、もっとハイハイをしたいらしく、ソファから自分で下りようとして、いつも頭から床に落ちて泣く。
何度か痛い目に合い、とうとう5度目くらいにお尻から下りれば大丈夫だと言う事を学んだ。おぉ頭も成長してるなぁと少し感動。
日本ではみかんだったが、こちらではバレンシアオレンジを食べている。離乳食も段々いろいろなものを食べ始めている。
見た目が美味しそうなのだが、実際私が食べてみると味が薄くて全然美味しくない。「味が薄いせいではない」と嫁は言い張るが最近のウノは食が細い。あまり食べ物に興味がないみたいだ。食べないので体重が増えない。
外に出るとウノは人気者だ。
ただし、すれ違う人々には髪の毛ばかりを褒められる(褒められてると言うよりも「なんて髪の毛なの?」と驚かれている)。
そう、ウノは相変わらずてっぺんだけがおっ立ったモヒカン風ヘアーなのだ。
最近は教会が主催している「リトミック」という歌と踊りのクラスがあり、教会だけに授業料がもの凄く安いので、週1回通っているのだが、そこでもウノは先生に「パンキーボーイ」と呼ばれている。
ウノは生後10ヵ月で外見だけは一端のパンクロッカーだ。
ただその自慢の髪も最近では伸びすぎてきて、嫁の髪留めで押さえている。
そうなると人々には女の子だと間違われる。
「可愛い女の子ちゃん」と呼ばれ、まんざらでもない顔をしているウノを見てると、ゲイ人口の多いスペインでは未来が心配になる。
とうとう最近、つたい立ちを始めるようになった。
なんだかここ1ヵ月のウノの成長がもの凄く速い。
そして今お気に入りなのはテレビアニメの「POCOYO」というもので、
多分これは日本でもDVDが出ていると思うが、とても可愛らしく、少しだけ教育的でもある。Youtubeで探しても出てくると思う。
余りテレビっ子にはしたくないのだが、毎朝そのアニメだけは見ている。
ウノは最近ベビーベッドが嫌いらしく、嫁が添い寝をしている。
ベッドから落ちるといけないので、ベッドの高さが低いリビングのソファベッドで二人で寝ている。
なので、私が寝室の夫婦のベッドを独り占めで寝られるのだ。朝「そこをどけ!」と起こされる事もない。
ウノが夜泣きで泣き叫ぼうと何も聞こえず、ぐっすり寝ている。
夜、絵が終わって寝室に戻る時、リビングを通るのだが、二人の寝相に笑いそうになる事がよくある。
このコラムに載せると嫁に毒殺されかけないので、載せられないのが非常に残念だが、二人とも実にアクロバティックな寝相である。
そうこうしているうちに3月に入った。
この頃のウノは私や嫁の携帯をいじるのがブーム。おもちゃの携帯を渡してもダメ。
ボタンを押して某かリアルな反応をしないと納得しないのだ。
携帯電話、テレビのリモコン、コンピューター、電卓、電気のスイッチなど、ボタンと言うボタンは押したくて仕方がないらしい。
そこらにテレビのリモコンを置いておこうものならば、怪奇現象のように突然テレビが点くのでびっくりする。
また私に似たのかウノはとても潔癖性だ。
掃除が好きらしく、よく日本の家にあるコロコロ(粘着テープの中心に取っ手が付いていて絨毯のホコリを粘着テープにくっつけて取ると言うお掃除グッズ)がお気に入りで、下手をすると1時間くらいずーっと床をコロコロしていてくれる。
10万円くらいするルンバと言うお掃除ロボットが日本では売れているらしいが、ウノが居てくれればそんなものは要らない。
ただ、見方によってはちょっとした虐待(シンデレラと継母みたいな)に見えるかも知れない。
日本では4月に桜で花見をするが、スペインでは2月の終わりから3月の初めにアーモンドの花が咲くので、アーモンドで花見をする。
ちょっと寒いが3人で近所の公園にてお花見とピクニックをした。
花になんて全く興味がないウノだが、春の日差しと外の空気は気持ち良さそうだ。
じゃぁいっそウノにもっと自然を感じさせよう!と言う事で、私たちはウノを連れて、アフリカ大陸モロッコの横(大西洋沖)にあるスペイン領、カナリアス諸島テネリフェ島に1週間ほど旅行に出た。
きっと、本物の海を見て、波を感じ、砂浜を裸足で歩いたら、ウノはもっと喜ぶに違いない!と私たちは思った。
引き蘢りの私に似ないで、息子には自然児になってもらいたいのだ。そのうちにはアウトドアなんて始めちゃって、山でバーベキューとか、キャンプとかね。夢は膨らむ!!!
が!・・・波ちょう怖ぇーよ、って海見て号泣。そして砂浜でも芝生でも、その感触が気持ち悪いんですけど...という感じで足の指を曲げてバレリーナのごとくのつま先立ち。
わざわざ連れてきたのにぃーと、父凹む。
悲しいかなやはりウノは父に似たのか自然が苦手らしい。
ホテルの部屋に戻り、部屋のツルツルタイル床の上で携帯をいじり、超ご機嫌なウノ。
ホテルの小さなプールで嫁とチャプチャプしてこの1週間の旅が終わった。
このホテルは子供連れのみが来るような、思いっきり子供のためのファミリーユース型ホテルだった。
いくらウノが騒いでも泣き叫んでも、周りも同じ家族連れなので、気にせずに居られる。もうウノを連れてはおしゃれホテルなんてとても行けない。
そして毎食がパック料金の中に含まれていて、体育館のように大きなホテルのダイニングでビュッフェスタイルの ご飯なのだが、このもの凄く大きなダイニングの端に座っているウノの叫び声が、対角線の端で料理を取っている私の耳に届く。まわりの子供の声なんか蹴散ら すような我が息子の雄叫び。これは恐怖である。
なんと私の母の遺伝なのか、ウノは舞台栄えをする通った大きな声を持っている。
しかし、この声がポジティブな時は出なくて、怒りの雄叫びの時だけ発せられるのだ。もうファミリーホテルでさえ行けなくなるのだろうか?!いやぁー。
旅から帰ると4月になっていた。
テネリフェ島は初夏のような気候だったが、マドリードはまだまだ寒い。
旅の報酬はプールを知った事で、水への恐怖が減り、お風呂が好きになった事。
ただし、風呂場でパシャパシャを激しくやりすぎて、しばしば外まで水浸しにして嫁に叱られることも増えた。やったのはウノなのに私が叱られる。
4月の半ば、ウノの誕生日を日本の家族と祝うために帰国する事にした。
ウノが1歳の誕生日を迎えると言う事は、その前に東日本大震災からの1年を迎えると言う事だ。
ウノが1歳分成長すると、震災で被害を受けた街も1歳分復興に向け足を踏み出した事になる。
私たち夫婦はウノの誕生日を思うとき、いつもあの日の事も思い出す。
いつもの事ながら、帰国前は絵の制作に忙しく、幾つかコミッションワークで頼まれていた絵を仕上げ、日本への飛行機にギリギリで飛び乗った。
こんなに飛行機に乗って、ウノがANAカードでマイルを貯めてたら、海外出張の多いビジネスマンくらいのマイルが貯まるんじゃないだろうか?
実際、こんなにウノを飛行機に乗せて彼が可哀想だし、酷い両親だと思うのだが、実の理由はウノがスペインに住むためのビザが下りないのが原因なのだ。
だからウノは法律により3ヵ月ごと日本とスペインを行ったり来たりしなければならない。
早くビザの許可が下りてくれれば、ウノにこんな辛い事はさせないで済むのだが、今の私たちには許可が早く下りる事を祈るしかできないのがとてももどかしい。
ウノは相変わらず皆に愛想がよく、最近は「神津宇之介くーん」と呼ぶと「はーい!」と返事をするようになった。
ただし、残念なことに「パブロ ピカソくーん」でも「横山大観くーん」でも返事をする。まぁ「くーん」が付けば何でも良いらしい。
あとは「バイバイ」や、キラキラ星の歌に合わせて手をヒラヒラさせたり、「こりぇ(これ!のこと)」なんかもたまに言う。
そしてそろそろ立って歩きそうな感じ!!!
日本では両方のじいちゃん、ばあちゃんが手ぐすね引いて待っていた。
もうすぐウノの誕生日。
思えばこの1年、長いようであっという間だった。
生まれてすぐのころ、本当に小さな手なのに思ったよりも強い力で私の人差し指を握ったウノが、今では私の携帯を握りしめ、長い間連絡を取っていなかった友人の電話番号を選び出し、早朝6時に8回くらい電話するようになった。
また嫁の携帯を使って私のメール宛に「ああぃやさぁあああ」とメールしてきたりするようにもなった。
来年には私の財布を握っているかも知れない。
成長は素晴しい。そして恐ろしい。
最初の3,4ヵ月のウノは夜泣きがひどく全く寝なかった。
一人熟睡する私の枕元に、幽霊以上に青白い顔の嫁が立って「どうにかしてくれぇー」と恨めしがり、私がビニー ル袋をカシャカシャしてウノの気を紛らわしたり、youtubeで「夜泣きの子供を寝かす音楽」などを検索して、「子供が泣き止む魔法の歌」という動画を 見つけて聞いてみると、同じように疲れた感じの主婦の生歌が永遠と流れ、なんじゃこれ?!と思ったが、それをウノに聞かせたら確かに泣き止んで、なんじゃ これ!ともう一度驚いたというような事もあった。
その時ごと真剣に二人で悩んだが、2,3ヵ月すると新たに大変な悩みが出てきて、前の悩みはどこかに消えていた。なんて事の繰り返しだった。
周りの子育ての先輩方に言わせると、まだ1歳の悩みなんて可愛いもんだ!という。
そうやってウノと一緒に私たちも成長していくのだろう...。
・・・と、ここまで息子への思いを書き綴り、ふと気がついた。
そういう私も父にとっては息子であった事に。
いままで、私は息子側の目線しか持っていなかった。
けれど今は父親側の目というものも持った。
私が息子を愛するように、きっと父も息子である私を愛してくれたのだろう。
けれど私は余りその事に目を向けず、父からの愛に背いてきたように思う。
私はずっと父に勝ちたいと思ってきた。ある種ライバルのような気持ちで乗り越えたいと思ってきた。
でも父になって分かった事は父親は子供ほど競争しようなんて思っていないということだ。
いつまで経ったって、彼にとっては私は息子なのだと思う。
私がこんな40のおっさんになっても、父からしてみたら子供なのだ。
それに子供が40にもなると、父親の方もそれ相当のいい年になっている。
だから、もういい加減、父と張り合うのはやめようと思った。
私の父は、私が生まれた時に「善之介よ、大きな正義の旗を振れ!」という言葉を自分が出した本に書いた。
私はウノが生まれるとき、父にその意味を聞いたが、父は「自分で考えろ!」としか言わなかった。
私はウノに何も望まない。
父が望んでも私がそうならなかった事を思うと、息子に何も言えやしない。
ただ、ウノがいつまでも、今みたいに笑っていてくれさえしたら、私は嬉しい。
ウノが相当なバカに育たないようには父として努力するが、どんな状況でも笑えてさえ居れば、きっと大丈夫だと思う。
初めての子だから当たり前なのだが、生まれて初めて父として息子のことを書き綴らせてもらった。
ただ、最後に一言だけ、息子として、こんなコラムの存在なんか知りもしないし、興味もない父に向けて書かせてもらう。
親父さん
旗が小さすぎて、年とったあなたの目にはもう届かないかも知れないけれど、あなたの息子は正義の旗を振ることをまだ諦めてはいないよ。
以上。
これで、息子の事を書いたコラムは終了とさせてもらう。
ウノと私たちの最初の1年はこんな感じで過ぎていった。
だらだらと長いコラムに最後まで付き合って下さった皆様に心から感謝する。
ありがとうございました。
そして、
ウノへ
ウノが今日も元気で、1歳になった事が父さんは嬉しいです。
ウノ、誕生日おめでとう。
お父さんより
いつの日かウノがこの文章を読む事があるのだろうか?
真面目なメッセージなんて一つもないから読ませるつもりもないけれど..。
多分、何年後かに私自身が読んで、赤ん坊の頃のウノを思い返すのだろう。
その頃のウノはどうなっているのだろう?
髪だけでなく本物のパンクロッカーになっていたり、「やっぱり女の子になりたい」なんて言ってたりするのだろうか?
今の世の中はどんな事でも起こり得るので、怖い事は起きてから考えよう。
おしまい。
神津善之介