4月に入りそろそろ帰国の準備である。

いつものことで、何度反省してもいっこうに直る気配がないのだが、
締め切り前(例えば今回の場合は空港に出発する時間)の2、3時間前まで絵を描いている。
しかも、もし締め切り日の何日も前に絵が完成していて余裕を持って期日を迎えられたとしても、
締め切りの数時間前、もしくは写真撮影の最中なんかに手直ししたいところが必ず見つかる。
この非常に良くない性格のため、個展前はなんだかいつも忙しい。

とは言え、この性質は僕だけのものでもないらしく、他にも都合の良い例を探してみれば、イギリスの巨匠ターナーはコンクールの審査室や個展会場で最後のグラッシング(仕上げ)をしていたと言う文献もある。
もしターナーが生きていたら、きっと僕らは話しが合うと思う。

ただし「忙しく絵を描いている」と書くと、やたらと筆を動かしているように思われるかもしれないが、実際はただぼーっと絵を眺めているのだ。「絵を描く」という時間の中では絵筆を動かしている時間よりも眺めている時間の方が長い。
だから絵を描かない人が見たら、締め切り前なのに随分のんびりしているように思われるかも知れない。

さて、先月の終わりに久しぶりに故郷のマヨルカ島に戻った。
そうなのだ!この僕のラテン的な目鼻立ちを見ればお気付きの方も居るかと思われるが、僕はマヨルカ島出身なのである。
日本で生まれ、日本には物心がつくまで住んで居たのだが、物心がついてからはマヨルカ島でずっと暮らしていた。ちなみに物心がついたのが二十歳の頃である...。
ということで、故郷に里帰りしていた。

この帰郷は遊びではなく、親友の画家、ペップ スアリの大きなアトリエで絵の制作活動をするためである。
マドリードの小さな僕のアトリエと違い、彼のアトリエは大きく風通しも良いので、そこを貸してもらい絵を描くことにした。

今回の滞在では転写シリーズの制作を考えていた。
この転写シリーズでは、転写の作業中に毒性が非常に強い揮発性溶剤を使う。
もし僕の小さなアトリエでその溶剤を使ってしまった場合、嫁なんかは臭いに敏感だからすぐ僕なんかを置いて出ていってしまうだろうし、その気体は部屋中に溜まってしまい、残った僕は体を壊して孤独な死を遂げるかもしれない。

もしニュースで「マドリードの小さなアパートでアジア系の男がテロ目的なのか、毒ガス兵器らしきものを開発中に自ら吸い込んでしまい死んでいた。」なんてものを見たら、あら?もしかしたら神津さんかしら?と思って欲しい。
話しが逸れたが、なんにせよ、自分一人で死ぬのはまっぴら御免だし、どうせならば友を巻き込んでやろうと思い、人の良いペップを騙して彼のアトリエを占領し絵の制作活動に勤しんでいた。

実は今回は嫁抜きで一人で帰郷したので「よっしゃ、絵を早々に終わらして遊んでやろう!」と一人密かに画策し ていたのだが、思いのほか制作に時間がかかり、結局悪友とも会うことができず、空港、画材屋、アトリエ、空港という移動プロセスしか無く、マヨルカに来た というよりもただアトリエに閉じ込められたという感じであった。
だからなんの悪さも出来ず、その面は実に不完全燃焼だった。
そんな仕事漬けだった僕を尻目に、一人マドリードに残った嫁はジャージで煎餅を食べながらくだらないドラマを見続けていたに違いない。

ただ滞在中の少ない楽しみの中で、素晴らしかったのは彼のアトリエから見える美しい夕焼けと、それをつまみにして彼と酌み交わす仕事終わりのビールだった。

彼のアトリエは田舎にあり、窓の外にはアーモンド畑が広がり、そこを10数頭の羊が幸せそうに草を食んでいた。
ちょうど正面の紫色した山に夕日が落ちる時間になると、窓の下に羊達が集まり木々の葉は夕日を透かしてオレンジ色に染まる。

そして僕たちは筆を持つ手を止め、筆をビールに持ち替え、最高のアペリティブタイムを過ごした。
日が傾く直前のような黄金色のビールは、僕たちの乾いた喉にはまるで神の水だった。
気付いたらつい僕は「パラダイスってこんなところにあったんだな」とつぶやいており、いつもこの景色を見ながら絵を描いているペップを心から羨ましく思った。

そう言われた彼は「あまりにも自然にいつも目の前にあるから、その有り難さをついつい忘れてしまうよ。」と笑ったが、夕日に染まったのか酔っぱらったのか、赤い顔はとても幸せそうだった。

それでも絵が終わらず、一人夜中にアトリエで制作していると、外で羊の首から下げているベルの音がした。
外は真っ暗闇で何も見えないが、きっとまだそばに羊が居るのだろう。
都会では感じない様な静寂と羊のベルの音だけが響く空間で僕は黙々と絵を描いた。

ちなみにアトリエでは彼の猫(と言うかほとんど野良猫)の「三島さん(ペップは三島由紀夫が好きなので)」が静かに見守ってくれた。
僕は最高に幸せな時間を過ごし、寝る時間も忘れ制作に没頭した。
最終日には15枚ほどの転写のシリーズができた。

久しぶりの故郷も、そして友も、大きな優しさで、僕をただそこに居させてくれた。
それが何よりも有り難かった。

そんなマヨルカ島を発ち、余韻にしたる間もなく都会のマドリードに戻ったら、もう帰国の日だった。
帰国前、やはり絵はまだ終わっていない。

次の行き先はマドリードの何倍も騒がしい街、東京だ。
さぁ帰国。
環境の変化に対する順応性の低い僕はギャップに熱を出さないようにしなければ!!!

 

神津善之介