あの日は良い天気で、2月だと言うのに気温は18度はあっただろうか。

迂闊にも、ぼくは恋に落ちてしまった。

暑さのせいなのか、心の動揺のせいなのか、身体は少し汗ばんでいた。
場所はマラケシュのスークの中にある、絨毯と化石の両方を扱っている「シカゴ」と言う名の店先だった。
マラケシュを訪れるのは8年ぶりだ。
まだ妻と結婚する前に一人旅で訪れた事があるのだが、8年経ちこのスークの景色はほとんど変わっていないのに、人々の感じが随分と変わった気がした。
上手く表現できないが観光国としての意識が芽生えたというか、外国人慣れしてきたというのか。
簡単に言えば僕にとって少しつまらなくなった。
とは言え、横にいる妻は初めてのアフリカの光景にはしゃいでいる。
たしかに、初めての人には今のマラケシュでも充分に自分の暮らしとの違いを感じ、楽しいだろう。
そんな少女のように、はしゃぐ妻の横で僕はずーっと見とれていた。目を動かす事ができなかったのだ。
こういう想いに落ちることはもう無いだろうと思っていたのに。

少し前から話をさせてもらう。

このマラケシュに到着する前に僕たちはフェズの街にも寄った。
そのフェズにはまだその街の生活感と言うものが残っていた。
とは言え、きっと10年前を知っていたら「今は随分と変わってしまった」と嘆くだろう。
ただ、フェズはマラケシュに比べるともう少しヨーロッパ文化の浸透が遅れているようだった。
観光客の数も少なく、スークの中の店も観光客だけに商売のターゲットを絞っている訳ではなさそうで、僕たちが買う同じ店で地元の人々も物資を買っていた。(ただし買っている値段は僕と地元民で0一桁は違うのだろうが...)
そしてマラケシュのスークや店には見なかったものが沢山あった。
たとえば、顔の皮を剥いで外側からだんだんと肉を削いでいく牛の頭やラクダの生首をぶら下げている肉屋や、羊達の足首を並べている店。それは遠くから見たらブーツ屋のように見えたのだが近づくと切り立てで濡れている足首だった。

先月のコラムに書いたことに似ているが、情報社会がどんどん進み文化が栄え都市が進化すると、悲しいかなその国や都市の持つ独自な特性が無くなっていくような気がする。
資本主義のせいだろう、他の国から入ってきた売れそうな土産物が大きな顔をして店先に並び、昔からそこの人間が愛用してきたものより売れる物、便利な物たちが街の主役になっていく。
売れる店、人気のあるレストランの定理ができ、その情報が世界を走り、何所の国も似た様な店が並ぶ。
その方がそこに住む人にとっては都合が良い。当たり前の話だ。
勿論、僕はそこに住んでいない。だから言える立場ではないが、僕にとってはなんだか悲しい。
旅をする者にとって、それは旅をする意味を一つ奪われる様なものだ。

派手な祭りも、活気の良い市場の喧噪も、皆ある意味、観光のために残っている部分でもある。

だから、まだ観光と言う魔力や情報というウイルスに感染しきっていない村に幸運にも足を踏み入れる事が出来たならば、心から幸せを感じる。
いつもと変わらない日々が500年続いて、一度に大きな進歩を遂げる事を望まなかった村の風景は、何も目立って面白いものなどはないが、もの凄く素晴らしく、美しい。

この意見は一旅行者の全くのエゴだ。そこに住む人の事など全く考えていない一方的な意見だ。
でも、そう言う村に出会えると涙が出るくらい感動する。

それは村自体のことだけではなく、勿論その村に暮らす人にも当てはまる。
フェズで出会った老人達。
良い顔をした70代80代の老紳士が沢山いた。
不思議なものでモロッコ人の場合、老人に限らず子供でも若者でも、悪そうな顔の人間はだいたい悪い。
良い顔をしている人は話してみると、なかなかの人格者であることが多い。
これがヨーロッパに入ると途端に外見と内面の関係性がなくなる。そして日本に帰るともっと分からなくなる。

フェズからマラケシュまでは580キロの道程を車で行った。
アトラス山脈の中腹を超えるので、まっすぐに向かっても7、8時間はかかる。
最初は列車での移動のつもりだったのだが、山の中の小さな村の人々や景色が見たいという僕のわがままから、車での移動に変更した。
モロッコと言う国は何から何まで交渉の世界で、お金のために人と人との化かし合いが続く。
ドライバーはとても気の良いおじさんだったが、それでも幾らで行ってくれるかと言う話はやはり交渉で、180ユーロと言うことになった。列車よりは1万円ほど高くなるが、その分取材が出来る。そう考えると安いと思った。

とは言え、モロッコの物価で考えると、ドライバーはもの凄く割のよい仕事を得たことになるだろう。
僕に向かってドライバーは「もの凄いディスカウントをしてやったのだから、私の嫁さんをマラケシュに住む嫁さんの妹のところまで一緒に乗せて行くことを許して欲しい」と提案してきた。
そんなことは別にかまわないし、地元の人が居る方が楽しいからとドライバーに僕はオーケーの返事をした。

途中、幾度も車を停めてもらい、ドライバーに通訳兼、交渉人になってもらい、ロバに乗った農家のじいさんや、魔法使いのように小枝で羊を気ままに操れる年老いた羊飼いのじいさんの写真を撮らせてもらった。
人によっては嫌がって、モデルとしてカメラの前には立ってはくれない人も居た。
けれど、撮らせてくれた人々は皆、本当に良い顔をしていた。僕は彼等と話し、写真を撮らせてもらう中で「この人の肖像画を描きたい」と思った。
事前にドライバーからは「写真を撮らせてもらう代わりに10DH(120円くらい)を御礼に渡してくれ。」と言われていたのだが、本当に絵にしたいような老人達は皆、お金での御礼を拒否した。
その代わり「良い絵を描いて下さい」と握手を求められた。

道中何度も車を止めて、シャッターを押し続けながらマラケシュに向かったら、通常7時間の移動に11時間かかっていた。ドライバーにとっては4時間の残業である。
後で皆にこの話をすると全員から「結局、最終的には善之介がドライバーをダマした様なものだ。」と責められた。

田舎の小さな村ばかりを訪れた旅の末、たどり着いたマラケシュは実に都会だっだ。
イスラム文字と独特の服装でここがヨーロッパではないことに気がつくが、見かけは充分ヨーロッパの一都市だった。
8年前に歩いた通りに大きなコカコーラの看板が出来ていて悲しくなった。
それでもマラケシュでの都会生活はトイレから何から機能的で清潔度は高く、都会育ちの僕たちにとっては過ごしやすかった。

僕は全く勝手なことばかりを言っている。
自分の日常は便利で機能的な生活を送りながら、旅するところに住む者にはその良さを与えようとしない。
なんて言うエゴだ。僕はこの矛盾にいつも頭の中で苦しむ。

ただ確実に言えることは、このアフリカ大陸に立つと言うことは、何かを考えるという行為に繋がる。
だから、何年かに一度はこの大陸に足を踏み入れたい。

そんな事を考えながら薄汚い迷路のようなスークの中で、屋根の隙間から差し込む日差しが、立ち上る埃を照らし出す様をぼんやり見ていた時だった。

角を曲がった途端、彼女に出会ってしまった。

風景に心を奪われる事は何度もある。
けれど、この想いはそれとは違う。
彼女は茶色い大きな目をした絨毯屋の看板娘。まだ本当に若い娘だろう。茶と黒のメッシュの入り方も実に美しい。
アンモナイトをソファーにして日だまりの中、彼女はフランス映画の女優のようにゆーっくりとそして優雅に伸びをする。

つい僕は彼女に話しかけてしまった。

「僕は君に恋をしてしまったらしい。君をスペインに連れて帰りたい。」
「突然何を言い出すの?だいたい私にはビザが無いわ。それにこんな暮らしをしてきた私だもの、お腹の中にはわるい虫がいっぱいいるでしょうし、スペインには検疫だってあるのでしょう?」
「そんなことは僕がどうにかするよ。」
「でもだめ。あたしにはここでの生活があるの。家族もいるし、都会暮らしなんて私にはできやしないわ。」
「お願いだ。そんな事を言わないでおくれよ。」

僕が彼女と話していることに気がついた嫁と、絨毯屋の主人が僕らのところに寄ってきた。
「うわーぁ!!!なんて可愛い子なの?ヤバい!ヤバい!欲しいぃー。超タイプよぉー!」
僕と彼女との密愛は妻を交えての3角関係になろうとしていた。

「この子が欲しいなら絨毯を1枚買っておくれな。そしたら譲ってやるよ。」と主人は僕の足下を見やがる。
なんて野郎だ!彼女をテレビショッピングの「今買うともう1セット付いてくる」圧縮袋のオマケみたいに扱いやがって!!!

どうにか彼女を連れ出したい僕たち夫婦だったのだが、今の僕たちが彼女をスペインにつれて入国する事ができる のかが分からなかった事と、日だまりの中であんまりにも気持ち良さそうに目を細める姿が愛おしく、今の彼女にはこの環境の中にそっと置いといてやる事の方 が幸せなのではないか?という思いが僕と妻の中に沸き、結局涙ながらにその場を去る事にした。

「さよなら、アンモ(アンモナイトの上に居たから勝手に命名)。またいつかお前を迎えにくるよ。」

「男達は皆そうやって言うけれど、あたしだってバカじゃぁ無いわ。
皆自分の港には自分の家族が待って居るものよ。
でもいいのよ、気にしないで。ここには私の家族がいるわ。
決して貴方から見たら良い暮らしではないかもしれないけれど、あたしはここで生まれ、ここで死んで行くの。それがあたしに相応しい幸せだわ。」

自分が実に情けないものに思え、伝えたい感情は言葉にならず、僕はアンモに何も言い返す事ができなかった。
そして僕と妻はマラケシュを後にした。

あの日のマラケシュは良い天気で、2月だと言うのに気温は18度はあっただろうか。

なのに、僕の目の前は雨模様だった。

「さよならアンモ。」

「愛しのアンモ」

 

神津善之介