モノ作りをする人はモノを作ること自体が修行の場であり、生き甲斐であり、救い である。
けれどその頭の中では、自分の後ろに立ち、自分の作品を眺める人々を感じたり、意 識したりする時がある。
フランスの詩人であるLouis Aragonは言っている。
「自分の絵に向かい合う時の画家は、そもそも最初の瞬間からもう一人きりではない。
画家の背後には今ここにはいなくとも、やがて必ずやって来るはずの観衆がいるのだ から」と。

絵を買ってもらって生きている僕のような人間や、展覧会に出品する絵を描く人間は、 必ずそのことを頭のどこかに持っている。
その意識に多くを支配されてしまってはいけないし、かといって自己満足にだけ走っ てしまうのも危険なことである。

 


マヨルカやコッツウォルズの景色は中2階の壁に
(撮影 嫁さん)

そんな両方の考えを頭の中で天秤にかけながら絵描きは長い間アトリエで一人製作し ている。
だから、その作品が始めて人前に出る時は、自分が納得して人前に出した作品とは言 え、やはり人の目を気にしてしまう。
それが個展のオープニングである。
スペイン語では「イナゥグラシオン」という。

 


自分の肖像を見るフェルナンド
(撮影 竹中温子さん)

この日に絵描きの仲間、友、お客、評論家が集まる。
だから一番緊張する日であるのだ。
ただし、日本と違い、皆、まったくもって騒ぎまくる。物凄くうるさい。動物園のよ うである。
中には、一緒に来ている仲間に、描いた絵描き自身の意見とは違う勝手な解釈で絵を 説明しだす人もいれば、音楽家の友はストローで笛を作り演奏しはじめる。そして思 い出したら何回でも乾杯をするし、酒が足りないと大声で叫ぶ人もいる。それがスペ インのイナゥグラシオンだ。


緑の水面の絵と、マドリードの景色、そして肖像
(撮影 竹中温子さん)

そして僕はそう言う雰囲気が大好きだ。
なにより、皆それぞれに貴重な意見をくれる。「ヨシ、君の絵の緑色の水には深みが ある、でも同じ水でも海の水には深みが足りないんじゃないか?」とか、「あの絵の 空の色を出すのは大変だったろう。僕は前の絵よりも今回の空の方が好きだよ」など。
皆、真面目ではない。でも真剣に絵を見てくれているのだ。それが嬉しい。
ばか騒ぎの中にもそれぞれが僕の絵に対し自分の意見をもって騒いでいる。
そんな意見が自分の肥やしになると僕は思っている。

 


(撮影 竹中温子さん)

貧乏で額代がないので厚手のキャンバスにして縁に色を付けました。
けれどその方が絵の世界が直接表せて気に入っています。
(撮影 竹中温子さん)

 


上下を白で切り取るシリーズで北スペインの風景を並べて
(撮影 竹中温子さん)

 


黒人「友」、黄色人「父」、白人「友」の肖像、そして一番左はテクスチャーだけで白地に白で描いた自画像
(撮影 嫁さん)

 


その晩の打ち上げはイナゥグラシオンより大騒ぎでした
(撮影 嫁さん)

そしてやっとスペインにやって来た初夏の夜は更け、僕も久しぶりのビールとワインでデロデロになっていく。
楽しい夜が終われば、また次の日から新しい絵が始まる。
画廊にも絵の片づけの日まではそんなには行かないだろう。
なぜならこっちの人々には「そんな時間があれば絵を描け」という考えがあるからだ。
僕は明日からベネチアに風景を探しに行ってくる。
さぁ、次はどんな絵を描こうか?

神津善之介