寿司屋のチラシ

つい最近まで、日本食が流行っていたスペインだが、お陰で偽者も増えた。
偽者と言うと聞こえが悪いが、まぁ言ってみればオーナーから料理人まで、誰も日本
人が居ない店のことだ。
ほとんどが中国人の経営なのだが、この写真の日本食レストランの広告もなかなか凄
い趣味だと思う。

多分このデザインは日本人にはできないだろう。
この寿司の字体は小さな寿司の絵で出来ていて、「私は寿司ing、貴方も寿司ing」と
言った感じだ。いやぁー、凄すぎる。感動です。

大間のマグロで、関サバで、四季の詫び寂を大事にしながら寿司を愛する日本人には
できない仕事だ。ワールドワイド ジャパニーズフードだ。

ロンドンには「YO! SUSHI」という黒人ラッパーの挨拶っぽい寿司チェーン店もある。

昔マヨルカで一度、友達に連れられて中国人の経営する日本食レストランに行った事
がある。
全員働いている人が中国人で、友達が気を使って日本人の僕に日本語で注文させるの
だが、相手は僕の話す日本語が理解できない。
友達らは「ヨシの日本語は変になって、もう通じなくなっちゃったんだぁ。スペイン
語訛りの日本語になっちゃったんだぁー。」と笑い転げるし、店に来ている客は、店
の人間が日本人で僕が中国人のために会話が成立しないと思い込んでいる。

そこは回転寿司の店なのだが、春巻きや焼そばが回ってきて、神風と書かれたハチマ
キのおじさんが「ニンジャ・ヨコスーカ」と叫びながらベルトコンベアにシュウマイ
並べる、と言うとてもシュールな店だった。

多分この町の人々はこの店こそ「THE日本」だと思い込んで人生を全うするのだろう。

さんざん皆に日本語能力をバカにされ、顔を引きつらせながら店を後にしたのだが、
今思えば、こういう事が日本文化の浸透なのかも知れないとも思う。
例えれば、日本のスペインレストランだってイタリアンだって中華だって日本人しか
働いてないところがほとんどだろうし。

自国の文化を世界に出そうとしても、それは伝えたいとこだけが伝わる訳では無く、
世界に出た時にその国に合った部分や、逆にその国にとって変わっていて面白い部分
だけが取りあげられて、日本人が「こここそが素晴らしいところです」と言いたくて
もそれが伝わるとは限らないのだ。

世界基準に無理矢理にでも変化させられて世界に広まって行くのが文化というものな
のかも知れない。
それがイヤならば分かってくれる人の中だけで伝えて行く。
どちらにも哲学があり、美学もある。
国が変わり、人種が変わると言う事は難しい。
外国で暮らしてつくづく思わされることだ。

おぉっと、申し訳ない。
変なチラシにインスパイヤーされてこんなに饒舌に書いてしまった。

さて、マドリードも暖かくなった。
友達のM氏にお借りしている猫のチャタ(勝手にウニと呼んでいて叱られたので正式
名のチャタと呼んでいる)もアトリエの僕の椅子の上で日なたぼっこに勤しんでいる。

最近はそのチャタの絵と動物の絵を描いている。
こんなに天気が良いのに絵を描いていて外に出られない自分と、
窮屈な檻の中でストレスを感じる動物達は少し似ているようで、つい絵に感情移入し
てしまう。
お互い、目の前の邪魔なものをブチ破れないで悩んでいるのだと僕は勝手に思ってい
る。
彼等は鉄の柵を、僕は絵描きとしての壁を。
僕の場合、身体は出たければいつでも家の外に出られる分だけ幸せだが、「もう少し
粘ったら何か分るかも!」と心の方が外に出たがらない。

でも、やっと風景が美しい季節になってきたから、この動物達とのコミュニケーショ
ンにもそろそろ決着を付けて、光の世界に飛び出したいところだ。

さて、毎年どこかしらにスケッチ旅行に出るのだが、今年はどこに行こうか?

そんな事を独り頭の中で考えていたら、急にアトリエに入る日が陰り、寒い風が吹い
たかと思うと、アトリエの隅に浮かばれない女の自縛霊が出てくるではないか。
その霊は長い髪を揺らしながら「あー、うらめしやぁーうらめしやぁーこんなに天気
も良いのにうちの旦那はどこにも連れてってくれませぇーん。セビージャもサラマン
カもセゴビアもコルドバも3年も暮らしてあたしはどこも知りませぇ−ーん」と恨み
節を唱えるのだ。

霊の呪なのか、猫は横で尻尾を振りながら(機嫌が悪い仕草)にゃーにゃー鳴くし、
お化けは足を揺すりながらギャーギャー泣くので、今年の旅行の予定を本腰を入れて
考える事にした。

とは言え、今年はお金も無いし、僕は亭主関白なので、行き先は僕が勝手に決めてし
まうのだがね...。

 

4月のマドリード 神津善之介