門番アンヘル
今日は新しい家にいる門番、アンヘルの話をする。
門番、ドアボーイ、コンセルジュ、どれも結構なマンションにいる紳士のように 思われるだろうが、僕が住めるアパートなのだから、そんな紳士はどこにもいない。
そこに居るのは言ってしまえば掃除夫の汚いおっさんだ。
耳が遠く、片足を悪くしていて、いつも引きずって歩く、そして昔のスペインにはよ く居た軽い文盲(字の読み書きが得意でない人)だ。
だが、彼はものすごく働き者で、真面目だ。
だから、アパートの住人には愛されている。
彼もこのアパートをとても大事にしていて、見かけるといつもアパートの中や外の路 を掃除している。
そして何よりもの自慢はエレベーターであるらしく、エレベーターはいつもピカピカ だ。
掃除夫兼、門番とは言え、このアパートはそんな世帯数があるわけではないし、皆が そんなに払っているはずもないから、充分な収入があるわけない。
実際僕も契約の時、大家から「君らはアンヘルには何も払わなくて良い。」と言われ ている。
まぁ家賃も上がって僕にはそんな余裕もないので、払えと言われても、困っ てしまうのだが...。
そんなだから、きっと貰えるものは少ないはずだ。
もし家族が居たら養うのは大変だろう。
でも彼には家族がいないようだった。
とは言え、そんな割の合わない仕事にもかかわらず、彼は良く働く。
11月に入居して暫く、僕は彼とはあまり打ち解けられなかった。
なぜか会話のリズムが掴めない。
彼にとって僕はまだ子供に見えているのか、ふき掃除あとに廊下を歩いたり、走った りするとよく怒鳴られる。
それになかなか僕を覚えてくれない。
家に入ろうとする僕の後ろ姿を見て、不審者と 間違ったりする。
耳が遠いアンヘルとスペイン語の理解力に乏しい僕は大声で何度も叫びあう。
僕が言いたい事が彼に伝わりづらいし、彼も無愛想だから会話もはずまない。
それに耳が聞こえないからやたらと顔を近付けてきて話すので僕の顔に唾がかかる。
僕は、彼は真面目なやつだけど取っ付きづらいやつだなぁと思っていた。
多分、むこうも僕を良く分らない奴だと思っている事だろう。
だから僕とアンヘルの間には少し距離があった。
そんな12月のある日、工具屋にネジを買いに言った帰り、アンヘルが近くのケーキ 屋のウィンドウにへばりついて、中を見ているのを見つけた。
子供みたいだなと思いながら、その話を嫁にすると嫁も前の日にケーキ屋で見たと言 う。
見かけによらず甘いものが好きなんだぁと少し驚いた。
いつも彼はウチの前も綺麗に掃除してくれているのに、今まで僕らは彼に何もしてやっ てない。
そこで、僕らはクリスマス前、「御歳暮」と言って、小さなクッキーの詰め合わせを あげた。
そしたら困ったような顔をしたあと、口うるさい彼が初めて見せる笑顔で僕らに礼を 言った。
それは本当に子供みたいな顔だった。
クリスマスの25日が終わった日、廊下の掃除をしているアンヘルが「おい!」と僕 を呼び止めた。
また何か注意されるのか?と思いながら「なんだよ?」と聞くと、 「お前にサンタは着たか?」と聞く。
僕は、なんと言う質問だ?と思いながら、 「俺は良いコじゃなかったから来なかったよ」と答え「お前は?」と聞き返した。
「俺も良いコじゃないんだよ。きっと...なんてな」と冗談なのか本気なのか良く 分らない顔で言った。
僕は「プレゼントをくれるような家族がいないから?」と言いそうになったが、口に は出さず、すれ違った。
年が明け、彼は休みもなく働いていた。
スペインは1月6日がクリスマスの締めくくりで、大事な日である。
東方から3人の賢者がキリストのもとに着いた日が1月6日で、 子供達はその日にやっと親からプレゼントを貰えるのだ。
そしてロスコンというクリスマスケーキにあたる菓子パンを家族で食べる。
ロスコンは直系30センチくらいのドーナツ型の菓子パンで、中に一つ小さな人形が 入っている。
皆でそれを分けて食べ、その人形が入っている部分を食べた人が今年1 年幸せでいれるという習わしになっている。
子供達は自分のピースの中に人形が入っているようにとお祈りをする。
そしてもし、自分の中に入ってたら、ものすごく喜んで、その人形を大事に自分の机 にしまう。
そういう食べ物だ。
そんなロスコンを買うのに行列ができるくらい、スペイン人には重要なものらしい。
そこで、ロスコンを食べた事のない嫁が買ってくれと言うので菓子屋に行った時、な んでか悄気た顔のアンヘルの顔が頭に浮かんだ。
そこで、1人で食べられる、なるだけ小さなロスコンを見つけて、アンヘルにも買っ てきてやった。
僕は「おいアンヘル。サンタがプレゼント渡しそびれたから、渡しといてくれってさ 。」と言って彼にロスコンをやった。
独特の包み紙なので中身が何かを察した彼は嬉しそうにニヤニヤしながら、礼を告げ て掃除に戻っていった。
その夜、僕と嫁はロスコンを食べながら「アンヘルも食べてるかなぁ」と話した。
次の朝、朝の遅い僕がパンを買いに外に出ると家のドアの外側にビニール袋がぶら下 がっていた。
袋の中には子供用のプラスチック製の絵筆が1本、そしてロスコンの中の人形とマー ガレットが1本入っていた。
袋にはへたくそな字で「ユキ と ヨシ へ サンタ より」と書いてあった。
その日の午後、掃き掃除をしながら外でたばこを吸っている彼を見つけ、 「俺の家には字のへたくそなのサンタが来たぞ」と言ってみた。
そして彼は僕に「お前は廊下を走るから、来年はサンタは来ねえな、きっと」とニヤっ としながら言い返した。
その日から、僕は彼とすこし仲良くなれたような気がした。
神津善之介