クリスティーヌの肖像
タイトル:クリスティーヌの肖像
サイズ:50×70cm
月から続く散々な日々がまだ続いている。
中腰で風呂に水を張ろうとした瞬間にグギっ!
そう。長い付き合いのギックリ腰だ。私はギックリさんと呼んでいる。
今回はわりと軽いギックリさんなので、どうにかこうにか動けるのだが、
動作スピードが100歳の爺さん並みなところが辛い。

さて!もうすぐ(8月20日から25日)日本橋三越本店にて、
リオンソープリュス展という若手作家のグループ展が開催される。
私もそれに2作品を出品させてもらっている。
毎年参加しているこの展覧会も今年で4年目となり、
いつもは静物画のシリーズを出品していたが、
今年は突然の思い付きで肖像画を出してみた。(上の絵がそれだ。)

いやー、肖像画は楽しいがムズイ。モデルが美人の場合は特にだ。

昔、私の師匠が言っていた。
「私は花が一番美しい瞬間は描かない。
少し枯れかけている時や、まだ咲き始めの瞬間を描き、
私の力でその花を美しく仕上げるのだ」と。
うぉーさすが師匠。何たる自信!

美人を描く場合もそれに似ている。
スタート地点ですでに対象物が美として完成しているので、
下手なアレンジは逆に対象物の美しさを消してしまう場合がある。
ただ、絵描きは写真家ではないので、
描いているうちに描き手の解釈、想い、そして観念が入ってくる。

現実に対する深い理解と愛情を持ち、
「対象物を忠実に描くことは存在するという単純な事実そのものを愛することだ」
と語ったベラスケスでさえも、キャンバスの上にはかなりの解釈が見て取れる。

私は絵描きの想いの入っていないような写真と寸分違わぬ超写実画は、
技術にのみ感心するが、それはもう写真だと思っている。

と言う事で、この私の
「解釈、想い、観念」VS「モデル自身が持っている美」との戦いは、
とてもエキサイティングで楽しくもあり、非常に困難であったりもする。

ここ最近、肖像ではモロッコの爺さんばかりを描いていたので、
多少顔のバランスがどうなっても、皺やシミが増えようが、
当たり前に私は私の想う美を選択してきた。
しかし今回のような、顔のバランスが美しく整っている場合や、
対象物が誰もが知っている人の場合なんかは、
そこを壊して自分の観念を入れる事に多少の躊躇が生まれる。
それが絵の弱さに繋がると私は思っている。

そう言う意味で、どんな相手だろうとキュービズムにしちゃうような、
ピカソの肝の据わり方は凄いとつくづく感心する。

まぁそんなわけで、私もピカソに負けじと自分の観念に従い解釈し、
この新作が生まれた。

ただ、この絵のモデル、動くクリスティーヌは私の絵よりも数倍美しい。
どうか絵の横に立たないで欲しいものだ。

神津善之介 拝

ギャラリー>新作 更新しました 2014/2/4